学不学、復衆人之所過。
人は学ぶ。学び、形を覚える。形の上に行為しながら、本来を忘れる。学ばざるを学ぶとしたら、未だ学んでいなかった時を思い出すことになるだろう。人がとうに過ぎてしまった所に復帰する。
千里之行、始於足下。
私は、これから千里の道を歩きはじめるのだろうか。それとも、いま丁度、千里を歩き切るのか。千里行ったところから、再び足下を見る。私が千里歩いた、この行を成り立たせたのはこの足下の地面であった。そこに始まりがあったし、これからもそこが始まりである。
過ぎたことを思い出す。すでに学び知ったことを、すでに知っているのに、それをまた思い出す。それに想いを馳せ直す。何をしているのだったか。そう省みて、歩みの力となる確かなものを見出すか、自分の歩みの不明に怯えるか。どこへ、その行方を知るには、どこから、その根拠を知るのが近道である。歩みの由来から、行先も出てくる。次に何をすべきか知るよりも、自分が実は何をしているかを知る方が、かえって直接に自らの方向を知る。
民之従事、常於幾成而敗之。慎終如始、則無敗事。
まず計画をまとめる。そこからすべきことも分かってくる。計画があるところまで進行した時点でも、なお計画を心に留めること、何の為に自分が行為しているかを意識しつづけること、このことが計画全体の失敗から遠ざけるし、個々の行為の失敗を減らす。失敗ではない失敗もまた減る。自分の行為の源泉を常に身近に感じているならば、自分の行為の必然性ははっきりしている。
自分がどこにいるか、何の為の行為か、このことを踏まえることで、命令に自信を持って従うこともでき、同じそれに自信を持って逆らうこともできる。自分の居場所と、仕事の目的、これらを踏まえないならば、命令を全て放棄するか、全て甘受するか、いずれかである。
事柄は、人がそれに従うとき、人の力の源である。人が他を自らに従わせようとしながら、事柄の根源的な力を借りないとき、そこに暴力がある。この暴力が自然の力を借りないかぎり、この横暴は不安である。
