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ホルモンは日本人の魂だ

AERA 12月25日(金) 12時 3分配信 / 国内 - 社会
──連れて行ってあげよう、日本のホルモンの旅に。
かつての「みそっかす」がいまや「町おこしの主役」。
思い煩うことはない。悩むことなんかないんだよ。
さあみなさんご一緒に。ホルモンよ永遠なれ。──

 彼はフラリと帰ってきた。2008年9月ごろのこと。実家に泊まるのは年に一度あるかないか。いつもフラリと来るのである。結成20周年ツアーの最中だったらしく、貴重なオフの日を使って1泊したようだ。岡山空港からレンタカーをぶっ飛ばしてきたのかもしれない。
 JR岡山駅から津山線に乗り換え、車両がふたつだけの列車でゴトゴト1時間半、岡山駅から数えて17番目の最終が津山駅。江戸時代に津山藩の城下町、出雲街道の宿場町として栄えたこの津山市(人口約10万9千)こそ日本最高峰のロック・ユニット、あのB'zのボーカル、稲葉浩志の故郷なのである。
 津山は長年にわたる「B'zの聖地」。実家の「イナバ化粧品店」や、彼が通った小中高校などは観光マップになり、ファンの巡礼コースになっている。四つ上の兄・伸次さん(49)が社長の、創業130余年の老舗和菓子屋「くらや」もそのひとつだ。
「これだけは、きちんと、じっくり、食べとけよ」
 その夜、実家に帰ってきた弟に、伸次さんは念を押した。高校まで津山にいた弟は、ひょっとして何かのついでに食べたかもしれない。が、「の、ようなもの」ではなく、「津山名物」に大化けしようとしている「本物」を一度は食わせておきたかった。お店で作ってもらったものを実家に持って帰り、「どうだ」と食べさせた。
「悪くない」表情だった。
 それが「ホルモンうどん」だったのである。鉄板でジュウジュウ焼いたホルモンに、キャベツなど野菜を加えて炒める。それにうどんとタレを加えてさらに炒めて出来上がる。

■酔った勢いでできた

 伸次さんは、この「ホルモンうどん」で津山の名を全国に広めようと地元有志で作った「津山ホルモンうどん研究会」(以下、研究会)の副代表。兄としては当然、その旨さを弟の胸に刻ませておきたかったのだ。
 そして09年9月。B級グルメ日本一を決めると銘打つ「第4回B-1グランプリ」が秋田県横手市で開かれた。そこで研究会は初出場で3位に入賞、その名を知らしめたのである。売り場に掲げた殺し文句は「あの大物ミュージシャンが愛した味」。
 が、なぜ「ホルモンうどんで町おこし」だったのか?
「その昔、祖母は鉄板焼きの店をやっていましたが、戦後間もないころにはすでにホルモンをみんな食べていたといいます。昔、牛の臓物は産業廃棄物として処理されていましたが、津山は牛の産地で新鮮なホルモンを食べられた。戦後の食糧不足もあったかもしれません」(小坂田裕造津山市観光振興課長)
 話は05年に遡る。岡山県で国体があり、津山では柔道が予定されていた。では選手たちをどんな料理でもてなすか。日々の準備に疲れた職員や関係者が鉄板焼きの店に飲みに行き、「酔った勢い」で出たのが「津山といえば牛の産地。そんなら安くて栄養のあるホルモンでどうだ」だった。

■日本列島ホルモン風

「昔から津山では、おっちゃんたちが店で酒の肴にホルモン焼きを食べ、最後にうどんを入れて締めにしていた。メニューにあろうとあるまいと、普通に食べてたんです」(研究会事務局長の明楽智雄市観光振興課主幹)
 ホルモンうどんを食べられる店の「マップ作成委員会」を作ったが国体に間に合わず断念。だがその後も有志の活動は続き、08年春には二十数軒を紹介したマップが作られた(09年春にパートII)。委員会は「研究会」と改称され、週末になると無給で各地のB級グルメイベントに出かけ、ホルモンうどんの旨さをアピールした。
 そして……。「B-1」3位がマスコミで伝えられるとホルモンうどん目当てに県外ナンバーの車が続々と津山にやって来始めた。まるで「フィールド・オブ・ドリームス」である。
「週末には行列もできる。やっててよかった……。ここ4、5年は年末になると『もうやめよう、いやあと1年だけ頑張ろう』の繰り返しだったから」
 突然の神風に呆然としつつ話すのは「橋野食堂」店主の橋野弘さん(58)。高校を出て自衛隊に入り、北海道名寄市など各地を回ったが25年前に父親が病で倒れ、跡を継いだ。築58年のレトロな木造の店。ホルモンうどんは1玉720円、2玉だと820円。
 研究会の鈴木康正代表は、
「会は所期の目的を達したと思う。でもここまで来たら、10年9月の厚木市(神奈川県)での第5回B-1で優勝しないと、会も終わるに終われない」
 08年の第3回大会ではその厚木の「シロコロ」が優勝した。こっちもホルモンである。津山など西日本は牛ホルモンが主流だが、関東以北は豚ホルモンが中心。豚の大腸(シロ)を裂かずに管状のまま洗い、焼くと丸くなってコロコロするから「シロコロ」なのだ。商店街を歩くと「厚木名物シロコロ」の看板と香ばしい匂いが待っていた。
 ホルモンの風が日本列島をビュウビュウと吹きまくっている。
 東京の赤坂界隈をブラブラしても、焼き肉に劣らず、いや肩を並べるように、「ホルモン」の4文字が大手を振る。
 ホルモン、あるいはモツ、と呼ばれる内臓肉だが、業界的には「畜産副生物」と呼ぶ。名前が示す通り、枝肉が「主」ならホルモンはあくまで「副」。牛や豚の値段は、あくまで「肉の需要と供給」が決めるもので、ホルモンの需要が高くなったからといって競りが行われるわけではない。肉あってこそのホルモンなのだ。

■「副」としての哀しさ

 しかもホルモンは「匿名」である。松阪牛は国内最高級の肉だが、では松阪牛のホルモンは最高に旨いのか?といえば、必ずしもそういうわけでもない。業界団体によると「タン(舌)、ハラミ(横隔膜)という脂身が多い部位は美味しいかもしれないが、他の部位はそういうわけでもない」。牛や豚の銘柄とホルモンの味は無縁といっていい。
 ずっと「永遠のみそっかす」扱いされてきたホルモン。だがそのホルモンがいまや「町おこしのエース格」「夜の宴会の主役」として登場してきた。「長州小力」が本家を押しのけテレビに出てきたようなものである。
 にもかかわらず、どこまでいっても「主」を凌駕できず、所詮は従属的な「副」として生きざるを得ない哀しさ。そこが私やあなたに似ているのだ。
 不況下の、デフレ時代の、だからこそ咲き乱れるデフレ的な華、ホルモン。
 兵庫県佐用町には津山とよく似た「ホルモン焼きうどん」がある(津山と違ってタレにつけて食べる)。鳥取にはホルモンそば(ホルそば)、山梨・甲府には鶏のもつ煮、北海道・旭川には「元祖・塩ホルモン」。行く先々にホルモンの世界が待っている。
 映画「ある愛の詩」の女主人公ジェニーは恋人のオリバーに「愛とは決して後悔しないこと」と告げた。「ホルモン愛」も然りである。
「ああだから今夜だけは/ホルモンを食っていたい/ああ明日の今頃は/僕は汽車の中」
 チューリップの歌ではないが、日本人の魂の一部となった「ホルモンの旅」は終わらない。
編集部 小北清人(写真も)