浪速の街で。「夢みたいやなぁ……こうして恋子はんと一緒に歩いてるなんて。」「ウチもです。人生、何があるか分からしまへんなぁ。哲平さんとこないしてお話できるとは思うとらんかった。」文学青年の哲平(てっぺい)と廻船問屋の箱入り娘、恋子(こいこ)。二人が仲睦まじく川べりを散策。身分違いではあったが、傍目には「お似合いのご両人」だ。二人が出逢った経緯(いきさつ)は今回は省くとしよう。「恋子はん、一つお願いがあるんです。」「はい、何ですやろ?」「率直に言うと、僕に会う時以外は紅(べに)引かんといてほしいんです。恋子はん、いつもきれいな紅引いとるさかい、他の男がしょっちゅう色目使(つこ)うてくる。今ここに来る間も何人かいやらしい目で恋子はんの事見とった。僕にはそれがたまらんのです。……心配なんです。誰かに奪われるんちゃうかと思って。」恋子は「ポッ」と頬を赤らめる。「嫌やわ。全然気付かんかったわ……でも、哲平さんがそないに思っててくれはったなんて、ウチ嬉しいわ。それやったら、口紅だけやのうて、眉墨も頬紅も、化粧(けわい)ごとせんといて、素一(すっぴん)にでもせなあきまへんな。」「恋子はんは格別べっぴんさんやから、化粧(けわい)せんでもパッと人目を引いてまうんです。魅力的すぎるんです。」「哲平さんがそないに言わはるから、天まで昇りそうやわ。いくら何でもおだてすぎとちゃいます?」「恋子はんは箱入り娘や。かといってホンマに箱に入れて閉じ込めとく訳にはいかんし……なんか、すんまへん……おかしな事言うて。」「いいえ、そんな事あらしまへんで。哲平さんはウチを自由にさせてくれる。やから、一緒に居て心地よいんです。」「こんなお願いしたら、女々しいやろか?って何度も考えたんです。」「フフッ、哲平さん、焼きもち焼いてはる。男の人でも焼きもち焼くもんなんやなぁ。大丈夫です。ウチは哲平さん以外の人はお断りですよ。」「おおきに!やっぱり恋子はん、最高や!恩に着ます。」「哲平さんの言う事にも一理ありますね。これからは化粧(けわい)して、紅引くのはあなたと会う時だけにしますね。これは証ですよ。愛の誓いです。ほな、指切りしまひょ。」「えっ、指切り?なんや子供みたいで恥ずかしいな……」「指切りげんまん。」

「今の私には色が付いていません。あなた色に染まりたいから色を付けずにいたいのです。あなたとお逢いする時は極上の紅を差しましょう。その為にこの紅差し指を大事に守らねば。私が愛を契りたいのは他の誰でもありません。あなたなのです。あなただけです。紅はその証です。あなたの口で滲ませて下さい。もし私が涙をこぼしたなら、それは嬉し涙です。操を捧げるのは生涯であなただけと決めています。守り抜きます、この証を。」今日もあなたに幸あれ。続く。