「誰かのせい」で悔しい思いをした。恥をかかされた。ひどく傷付いた。そんな時、心に「憎しみの炎」を燃やす人は多い。場合によっては「絶対に復讐してやる!」そんな気持ちが芽生えても不思議ではない。「自分が不幸になったのはあいつのせいだ!許せない!」その気持ちはよく分かる。冷静になれと言っても無駄だろう。しかし、ここは損得で考えようじゃないか。もし、仮に君が「目には目を」「歯には歯を」と仕返しをした所で損をするのは君だけだ。君以外誰一人として損する事はないんだぞ。それに困るのも自分自身だ。やはり、君以外に困る人は居ない。一時(いっとき)の感情に任せてやり返してしまうと下手をすれば君の人生はそこで終わってしまう。一度何かやらかすと、この国は「前科者」扱いして厳しく辛辣に対応してくるからな。一生、貼られたレッテルを剥がせないなんて事態にもなる。要するに「一人負け」だ。なぁ、バカらしくないか?心の傷っていうのは外部からは一切分からない。君が深刻なダメージを負ったのは事実だ。苦しいだろう。悶々とするだろう。直接自分を痛めつけた相手をひねり潰してやりたいだろう。頭に血が上り、カッとなってふと我に帰った時、そこはおぞましい惨状になっている。そのせいで一生を棒に振ってしまう。そんな事あってはならないんだ。かつての人気ドラマの様に「倍返し」なんてしよう物なら返り討ちも覚悟しないとな。相手をやり込めてしまうと禍根を残す。悲しみは悲しみを呼び、復讐はさらなる復讐を呼ぶだけだ。正しい「復讐」の仕方があるとすれば、それは自分を傷付けた相手よりも幸せになる事だ。これが最高にして最大の復讐の仕方だ。だってそうだろ?自分が幸せって事は周りの事なんかどうでもいいじゃないか。今相手を許せないのは心が狭くなっているからだ。心に余裕が出来れば、相手の抱えている事情や背景にも斟酌できるし、まぁいいかとさえ思えてくる。

「やられたら、やり返す?それもいいけど。勝てる自信があるのなら。けしかけるつもりはないし、おすすめもしない。こちらが敵対心を持つと相手も敵対心という鎧を着て抵抗してくる。倍返ししたいのなら、痛みを倍返しするんじゃない。自分が相手よりも圧倒的に幸せになって、相手の事なんて気にならないくらいの幸福量で倍返しするんだ。目には目を、歯には歯をだと新たな犠牲者を生み出す。でも、幸せになるという復讐なら他の人にも分け与える事が出来る。相手も君の事が眩しすぎて直視できなくなる。報いを受けるのはどちらだ?言うまでもない。」今日もあなたに幸あれ。続く。