世界遺産「富岡製糸場」がある「群馬県」は今でも日本一の「養蚕」の里だ。だが、近年では安価な海外産の生糸に押され、生産量はピーク時を大きく下回り、養蚕農家の数も、昭和40年には7万3千戸だったが、現在ではわずか62戸。浅井広大(あさい・こうだい)29歳は大学卒業後、某大手企業に就職するが、人間関係でつまずき、入社約3ヶ月で退職。その後自宅に引きこもっていた。ある日、養蚕農家では高齢化が進み、後継者不足に悩まされているという情報を目にし、何故だか分からないが、心が動き、足は群馬へと向かっていた。「お兄ちゃん、だいぶ慣れてきたね。あなた元々筋が良かったからね。」居候先の養蚕農家の嫁、北尾照枝(きたお・てるえ)61歳が目を細めながら浅井を褒めた。「そうですか!ありがとうございます。」素直に嬉しかった。「さぁ、お前ら、いっぱい食えよ!」浅井の視線の先には「おかいこさん」たちが美味しそうに桑の葉をムシャムシャとかじっていた。「そうね、この子たちにはうんと栄養つけさせないとね。」浅井は今、「必要とされている」「役に立っている」という実感を噛みしめながら、久方ぶりに充実し、いきいきとした毎日を送っている。「お兄ちゃん、一度は繭から外に出たんだけど、ちょっとしんどかったのかな?それでまた繭の中に戻っちゃったんだね。どう?おひさまに当たる感覚は?まぶしいでしょ?でも、気持ちいいわよね?」「はい、爽快です。」少し前なら答えに躊躇していたが、今なら迷う事なく即答できる。「でもねお兄ちゃん、あなたが一旦繭の中に引きこもったから得る物もあったのよ。モヤモヤして、スッキリしない時っていうのは頭の中で糸がグチャグチャにこんがらがって、どうしようもなくなってるのよね。だから、じっくり時間をかけて繭をほどかないとね。」傍らには白くきれいな繭玉があった。「おかいこさん、ちょっと熱いけど、ごめんね。ここまでよく頑張ってくれたから、楽になってね。」そう言って繭玉をグツグツと煮え立つ熱湯の中にくぐらせる。

「グラグラと煮え立つ湯の中で繭が踊る。少しずつ、少しずつ、繭がほどけていく。バラバラで、複雑で、理路整然としていなくて、もつれた糸を整理したら、真白(まはく)な絹糸の出来上がり。織り機の中で、縦糸、横糸仲良く交差し、優美な織物(ファブリック)に化けるのです。」今日もあなたに幸あれ。続く。