何事もスムーズにスイスイと上手く運んでいる時というのはその人の「真価」は分からない。こういう時は自分の「実力」以上の力が働いていて、それこそ「神がかった」様な状態になっているから。要は「イケイケドンドン」みたいに。なので、後から「もう一度同じ事を再現せよ」と言われても、ほぼほぼ「再現不可能」同じシチュエーションを用意したり、お膳立てする事も出来ない。実の所本人にも周囲も「なぜ、上手くいっているのかよく分からない」から。「まぐれ」という風が吹いて、タイミングよくその風に乗っているとも言える。「まぐれ」なのだから、再現できなくても不思議ではない。だから、こんな状況で「価値」を測ったり、判断しようとしても正確な「数値」とは言えない。実際よりかなり「上積み」されていたり、「水増し」「かさ上げ」されている可能性がある。その人の本当の「小細工」なしの「実力」を知りたいのなら、それは物事が上手くいっていない時の方がよく分かる。この状態なら「ごまかし」が効かないので、嘘偽りなく己の力で問題やトラブルを処理したり、切り抜ける力が試される。どうやって向き合い、解決するのか?その手腕が問われるのは追い込まれて絶体絶命な時や土壇場、瀬戸際でもう後がない場面。もし、ここで鮮やかにピンチをチャンスに変える事が出来たなら、それはその人が「見せ場」を作ったという事。逆風が吹けば吹くほど力が増して「本領発揮」する。そして、その姿がとてもサマになっていたら間違いなく「真骨頂」だ。「形勢不利」から一転して「自分有利」な展開へと持って行く。これこそが、その人の「真骨頂」決して「勢い」だけでヘラヘラしていたら、「真骨頂」の瞬間を垣間見る事はないだろう。最初から上手くいっている時なんて何もしなくても「自動的」に流れに乗れてしまうから判断材料としては弱い。もうこれ以上無理だ!進めない!さて?どうする?どうやって好転させよう?そうやって考え抜くと尋常ではない「知恵」や「インスピレーション」が降りて来て、通常では考えられない解決法や打開策を思い付く。それがハマれば、もう恐い物なしだ。敵なしだ。やはり、どの人も自分らしく「真骨頂」の姿を見せつけている時が一番絵になる。飾らず、おごらず、自然体でしなやかに颯爽と難局を打破する。人間、究極の所、「真骨頂」の時が一番強い。                    「どうする?次の一手。考え付く手段はやり尽くした。追い詰められた。ここで反転攻勢に出よう。普段は怠けていて一向にやる気を見せない真骨頂。そろそろ出番が近付いているぞ。たまには本気出せよ。そのまま眠り続けて埃を被ったままじゃ、お前の見せ場がない。ほら、目を覚ませ、真骨頂。このままショーの観客を退屈させるつもりか?見せ場なくしてショーとは呼べぬ。後には退けぬ。さぁ、好きなだけ大暴れしろ!真価を発揮できぬまま一生を終えたら悔いだけが残るぞ。奮い立て!真骨頂。お前の活躍次第で拍手喝采、スタンディングオベーション。アンコールの嵐。」今日もあなたに幸あれ。続く。