私の出身は沖縄だ。母一人子一人の貧しい母子家庭で育った。母は私を育てるために朝から晩まで働き詰め。身を粉にして働いていたが、親の心子知らずで、私はご他聞に漏れず荒れた。思い返せば、あの頃は母に反発ばかりして散々迷惑をかけた。それは愛されたかったからだ。母の愛情を感じたかったからだ。だが、当時の私には抵抗する事でしかサインを送ることが出来なかった。そんな私も高校卒業を機に郷里を離れ、本土の大学に進んだ。そして、建設会社に就職し、現在は縁あって、新潟の支社勤務だ。新潟も山と海がきれいで風光明媚ではあるが、やはり郷里とはどこか違う。世の中の情勢的な物もあり、約2年里帰りしていない。その間に私も愛する人と出会い、家族が増えていた。「まだアンマーに嫁さん、会わせてないな……それに最近、膝が痛いって言ってたっけ?大丈夫かな?GWずらして休み取ったから、改めて結婚報告兼ねて帰るとするか。」                   「初夏の晴れた昼下がり、私は生まれたと聞きました。母親の喜び様は大変だったと聞きました。『ただ、真っ直ぐ信じる道を歩んでほしい』と願いこめて、悩み抜いたすえ、この名を付けたと聞きました。我が家はあの頃からやはり裕福な方ではなく、友達のオモチャや自転車を羨ましがってばかり。少し困ったような顔で、『ごめんね』とくり返す母のとなりでいつまでもいつまでも泣いたのを覚えてます。アンマーよ。あなたは私の全てを許し、全てを信じ、全てを包み込んで、惜しみもせずに何もかもを私の上に注ぎ続けてきたのに。アンマーよ。私はそれでも気づかずに思いのままに過ごしてきたのでした。『強さ』の意味をはき違えて、ケンカや悪さばかりをくり返し、勝手気ままに遊びまわる、本当にロクでもない私が真夜中の静けさの中忍び足で家(うち)に帰ったって時も狭い食卓の上には茶碗が並べられていました。自分の弱さに目を背け、言い訳やゴタクを並べ、何もせずにただ毎日をだらだらと過ごしたり、浴びるほどに飲んだ私が明け方に眠りに落ちる頃、まだ薄暗い街ヘ母は出て行くのでした。アンマーよ。私はアナタに言ってはいけない、決して口にしてはいけない言葉を加減もせずに投げつけては、アナタの心を踏みにじったのに。アンマーよ。それでもアナタは変わるこ事なく私を愛してくれました。木漏れ日のようなぬくもりで、深い海のようなやさしさで、全部、全部私の全てを包み込んだ。アナタの背中に負われながら眺めた八重瀬岳(やえせだけ)の夕陽は今日も茜色に染まるYEAH度が過ぎるほどの頑固さやわがままも卑怯な嘘も全て、全てを包み込むような愛がそこにはありました。アナタのもとに生まれ落ちた事はこんなにも幸せだった。今頃ようやく気づきました。こんな馬鹿な私だから、春先の穏やかな朝に新しい命が生まれました。アナタのようによく笑う宝石みたいな女の子。『優しさの中に凛々しさを秘めた人になるように』と願い、アナタの一番好きな花の名前を付けました。」アンマー、少しずれたけど、今年の母の日のプレゼントはアナタの孫って事でいいかな?膝が治ったら、家族でどこかへ行こう。原曲かりゆし58「アンマー」今日もあなたに幸あれ。続く。