もし、あなたの近くに身も心もボロボロになった人が居たとしたら、どうする?それはあなたとの関係性の深さによって変わるだろう。親しい関係なら「何とかしてあげたい」と協力したり、援助の手を差し伸べたりするのではないだろうか?しかし、それほど親しくないのなら「可哀想だな」「気の毒だな」と他人事として済ませてしまう事だろう。ボロボロになった人は見ているだけで痛々しい。そばに居るこちらまで何だか申し訳なくていたたまれなくなる。自分は何もしていないというのに。ボロボロになった人の性格にもよるが、それでも尚気丈に振る舞い、大丈夫と強がってさらに頑張ろうとするタイプの人も居るし、力無くうなだれて、誰彼構わず依存しようとするかまってちゃんな人も居る。どちらが良い悪いと言っている訳ではない。どちらも「ボロボロになった」という事は事実なのだから。心優しくて、慈悲深い奉仕精神に溢れたマザー・テレサの様な人だったら放っておけずに献身的にあれやこれやと世話を焼くのかもしれないし、何から何までやってあげると本人から自発的な意志を奪ってしまうという考えの人も居て、そういう人は最低限の力だけ貸して、自力で立ち直るのを黙って見守って金銭面で支援したりする。ボロボロになってどん底を這い回っている人の胸中なんて第三者が察せるはずなんてないんだ。自分も同じ境遇に身を置いてみない限り分かりっこない。ボロボロになった人だって好きでボロボロになった訳じゃない。ただ、幸せになりたかっただけなんだ。でも、ちょっとだけ方向性がズレて幸せから遠ざかり、ボロボロになっただけなんだ。明日は我が身だ。いつ自分がボロボロになったっておかしくはない。もしかして私たちはボロボロになった人に対して偏見の目で見てはいないだろうか?バカにしたり、見下したりしてはいないだろうか?「ああはなりたくない」とか「自分はあんな風にはならない」とか。そんな事を頭の片隅でも思っていたら今度は自分がボロボロになった時に回りからそういう視線で見られるぞ。タチの悪い場合だと、ボロボロになった人の傷口に塩を塗り込んで、追い討ちをかけて袋叩きにしようとしたりする。               「ボロボロになった人へ、かける言葉もなく。何も出来ずにその場でうろたえる。ボロボロになった人が、助けを求めて来た時、躊躇無くすぐさま体が反応できるかな?ボロボロになった人は自暴自棄になっていたり、絶望と虚無感に覆われている。ボロボロになった人よ、自力で立ち上がる気力はあるか?ただ甘えるだけなら手は貸さないが自分の足で再び歩こうとするのなら、惜しみ無い協力はさせてもらう。もし自分がボロボロになった時、単に人に頼りっぱなしで全て他人任せにはしたくないと思っているから。ボロボロになった人へ、中途半端な気休めなんて言わないよ。今はその身と心を元気にする事だけ考えてくれよ。」今日もあなたに幸あれ。続く。