「あるものあたえ」                                                   理想とするハードルの高さってどれくらいがいいんだろ?例えば年収200万の人だったら300万は欲しいって思う。で、300万になると400万、500万ってどんどん欲しくなっちゃう。でも、ある研究によると人って自分の資産が1000万とか2000万になると、それ以上増えても幸せだと感じなくなるらしい。2000万が3000万になっても幸福度は横ばい。「あぁ、こんなもんか」って。お金だけじゃなくて、他の物でも「もっと、もっと」って際限なく求めちゃうけど、それじゃあいつまで経っても満足なんて出来ないね。どんなに「「物は足りてるよ。充分にあるよ。」って言われても信じられなくなる。愛情だって才能だって足りてるはずなのに「全然足りない。もっとくれ」ってくれくれ星人になってしまう。確かに他の人が潤ってるのに自分はそうなってないと、ないものねだりはしてしまうもの。でも、周りを見渡したら「ある」であふれてるんじゃないかな?ただ、それが当たり前になると「ある」とか「ない」っていう風に思えないだけで。自分に足りてない物、自分が持ってない物、リストにして書き出したら多分キリがない。反対にある事リストも作ってみたら、既に持っている、ある物だって同じくらいになる。現在のパラリンピックの原型を提案したグッドマンという医師は「失った物は数えるな!今ある物に目を向けるんだ!」って言っていた。だって、ない物は仕方ない。時間が経って手に入ればいいけど。残された物を使ってどうやって生きていくのかも考えてみる。そこから新しい可能性だって生まれる。何かが「ない」「足りない」事で。人間だって良い所はパッと見では分からない。でも短所や欠点はすぐに目立ってしまう。そこを攻撃するのは簡単な訳で。あら探しとか揚げ足取りばかりしていると、自分だって足元をすくわれる。だから難しいけど、「いいとこ探し」をしてみる。「ないものねだり」をして地団駄踏んだり、だだをこねているんじゃなくて、もっと「ある」にフォーカスして、それを他の人に与えてみたらどうなるんだろう?え?自分には特に与える物がない?そんな事ないよ。お金がある人はお金を与え、時間がある人は時間を与え、知恵がある人は知恵を与え、体力がある人は体力を与える。他にも創作活動をしている人は創作で、歌を歌ったり、楽器を演奏している人は歌や演奏で、人を癒す仕事をしている人は癒しで、世の中に貢献してるじゃない?やれる範囲でいいんだよ。そうしたら、みんな必ず何かを与える事は出来ている。ひとりひとりの「あるものあたえ」が世界規模で起こるといいんだけどな。」今日もあなたに幸あれ。続く。