だらだらといつまで続くんだって感じですが、思い出したことを書き留めておこうと思ってます。

 

ほぼ自分の記録です。

もう見てる人もいないと思うし。

 

 

ベルがお空に行ったのでもう思い出は増えないし、新しい思いも出てこないのかなと思っていたんですが、まだまだ今頃になって気づくことなどあってちょっと驚いてます。

 

 

あぁ、こんな事だったんだ、とかね。

 

私が前に進んでいくと、そのレベルに応じた気づきが訪れるというか。

 

 

 

この間も次男が来て、

「ベルがいないって、なんか不思議な気がしない?」

と言うので、

「いや、別に…、いつも一緒にいるし」

 

そして、

「そうそういつまでもいられないんだよ、期間限定で来てたんだしね、ベルにも次に生まれ変わるとかの都合もあるし」

 

と答えてて、なんかこれは言わされたなぁ、って感じで、自分で言いながら気づきました。

 

 

そして、一緒に住んでいないと逆に寂しさを感じるものなのかもと思いました。

 

 

 

散歩に行くときにこのゲートを開け、帰ってくると閉じていたのですが、最後に病院に連れて行くときに開けたまま、ゲートを閉じることはありませんでした

 

 

 

次男は週に1度くらいうちに仕事をしに来るんですが、生前ベルは次男の気配に気づくとタタタタっと走って行ってじゃれて喜ぶのが常だったのに、今はその足音も聞こえないし、ベルの姿も見えない。

 

いつものあの風景がなくなってしまった。

 

どうしてないんだろう、

 

と、前との落差を寂しく感じるんだろうな。

 

次男はその空気の違いになかなか慣れないのかもしれない。

 

まぁあれだけ可愛がっていたからね^^

 

その寂しい感情も愛情だと。

 

 

 

 

ところで、ワンコも人間と同じように、肉体を脱いだら細かい粒みたいになって飛び散って宇宙に溶け込み、また時期が来たらそれが形をとって現れるのではないかと思ってます。

 

ほんとのところは誰にも分らないと思うので、自分が信じたことが真実と思うしかない。

 

 

で、ワンコも神様に遣わされてこの世に降りてくるんだよね。

 

 

そして、今まで経験してないことをやって、ジグソーパズルみたいに足りないところを埋めていって、完全な魂に近づいていくんじゃないのかなぁ。

 

そう思うと、ベルは今回、

沢山かわいがってもらう事、

美味しいご飯をいつも食べられる事

いつも一緒にいてもらう事

 

を経験しに来たのかもしれない。

 

幸せな犬生、というのを経験したがっていた魂なのかもしれないね。

 

 

でも、今回の犬生でそれはたぶん(飼い主の自己満足ながら)堪能したと思うので、もうこれ以上の幸せな生活ってのはないんじゃない?もう生まれ変わってくる必要がないんじゃない?と思ったら…

 

そうか、今度は病気のない体で生まれてくるのかも。

 

次は健康な体でうんと長生き、ってのを経験するのかもね。

 

 

倒れる前日の昼間。気持ちよさそうに寝てるね

 

 

 

ベルは今はニコニコして元気な体で私のそばにいるそうだから、多分生きてた時も幸せだったと思うけど、大きな爆弾を持って生まれてもきたからね。

 

 

同じ病気の子と比較しても、ベルの場合は特別に重かったんだなぁと思うにつけ、よくあの小さな体で頑張ったね、辛そうな顔も見せずに、と今更ながら思います。

 

 

 

 

さてと、今週は長男の住む神戸に旅行に行ってきます。

もちろん、ベルの写真と一緒に。

 

 

 

 

ベルを見送ってから3か月が過ぎました。

早いですね。

 

ベルがいた頃も幸せだったけど、

見えない存在として一緒に生きている今も幸せだなぁと思います。

 

不思議な感覚です。

 

 

平和で、ふわふわして、天国にいるみたいに感じることもあります(笑)

陽気のせいかな。

 

 

 

やはり寂しさや悲しみというものは沸いてこなくて、ベルと一緒に違う世界線に移動したんだな、と思います。

 

ある人が「死は卒業だからね」と言っていましたが、ほんとそうですね。

 

 

やることをやり終えて、体も古くて機能しなくなって・・・そうしたら卒業です。

 

もうこの世に用事(?)がないのに、飼い主の思いだけでひきとめるのは、上の方から見ていたら滑稽なことかもしれませんね。

 

近所のカフェで

 

 

 

たとえて言えば、油まみれになって、汚れて、重くて動けなくなった作業着を脱いで隣の部屋に行こうとしているのに、行かないで~、そのまま汚れたままでいいからここにいて~、って引き留める人っていないですもんね。

 

 

そういうことは、頭でわかっていても、実際に自分の愛しい子がいなくなると、理屈じゃなくて寂しい、というのが普通なのかもしれないけど、あっさり「そうなんだ、じゃまたね」って言って、姿の亡くなった子といるのがデフォルトになってしまった私は、やっぱり瞬間的に世界線を移動したんだなぁと思わないではいられません。

 

 

 

悲しまないのがいい事、悲しむのが悪いこと、というわけじゃなくて、どちらでもいいと思うのですが、軽くなった方が楽というのはあると思います。

 

 

お花はできるだけ切らさずにしているけど、暖かくなってきたからモチが今一つ

 

 

 

起きることにはもともと意味はなくて、そこに意味をつけるのは人間。

 

だから、同じ現象でもいい事にもなるし、悪い事にもなる、価値を置くこともできるし、うっちゃっておくこともできるのだと思います。

 

 

ベルが来たことで、私の人生も変わったし広がりました。

 

でも、ことさらそれをドラマ仕立てにすることはないのかなという気もします。

 

 

いやでも実際は、どうでもいいような人生を生きてきた私に、ベルは愛や幸せや苦しさなどなど、いろんなことを経験させてくれました。

 

でもベルは、お母さんにこれを知ってもらおう、とか、これを経験させよう、なんていう気はなくて、ただただ存在していただけです。

 

だからそこに意味をつけたのは私ということになるんでしょうね。

 

 

天の配剤というか、ざっくりとは計画があったのかもしれないけど、そこから先の細かいことは飼い主次第ということなのかもしれない。

 

そしてそれはわんことの生活だけじゃなくて、結婚や仕事や家庭生活すべてのことに言えることなんだろうな、と思います。

 

ワンコは特別愛しいけどね^^

 

 

 

 

暖かくなってきたので、電車に乗って買い物に行ったり、隣駅まで歩いて行ったり、散歩の習慣をなくした私は、なんとか頑張って健康を保つようにしています(^^;

 

まず足から、っていうからね。

 

 

今日は清澄白河まで出かけて、おいしいサンドイッチと豆乳パン、ロールケーキも買ってきました。

 

 

 

 

あっという間に3月も終わっちゃうんだろうな。

 

もうすぐ桜も咲き始めるから、今年はお花見に出かけようかと思ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わが子が病気になると、あれこれ調べて少しでもいい治療法を探す、というのが普通の飼い主だと思うし、私もそうでした。

 

でも、今落ち着いて思うと、ベルが望んだことは、

 

☆いつも一緒にいてくれる

☆おいしいご飯を食べさせてくれる

☆数十回に及ぶ大発作に耐えうる神経を持ち合わせている

 

たったこれだけの事だったんじゃないかなぁと思います。

 

 

なんていうか、あまりあれこれ考えることはなかったかな、というか…

 

ベルが淡々と生きたように、私も淡々と目の前のことをやっていればそれで良かった、先のことを心配したり(するなという方が無理だけど)悲観することなどなかったのかもなぁと思います。

 

でもそれは終わってからわかることなのかもしれないですね。

 

 

 

特にこの病気を持っている飼い主さんは、ほんとうに疲弊するし、追い詰められていくものなのです。病気の子を持つ飼い主さんは皆そうかもしれませんが、それでも他の病気とはちょっと違う大変さがあります。

 

 

去年11月のお散歩。まだまだあったかかったね。

 

 

 

去年の秋くらいに同じ病気の子を持つ何人かの飼い主さんと繋がり、助け合い励ましあいながら毎日過ごしていましたが、とても心強く励みになりました。

 

皆でそういう場があったことを喜び合い、またそこで脳神経専門の先生も教えてもらい、それぞれの飼い主さんが一生懸命病に向き合っていました。

 

 

今でも闘っている子たち、どうか穏やかに過ごせますように、飼い主さんも楽に過ごせますようにと祈るばかりです。

 

 

 

 

話は変わりますが、ベルがそろそろ天空に向かうという頃に、とある方(Gさん)に相談をしてみました。

 

このGさんは、あちらの世とも繋がっていて、ともかく正確に伝えてくれる方なんですね。

 

なんでも生まれた直後からの記憶があるそうで(笑)、子供のころから魂が見えていたそうです。

 

 

空を見上げると、亡くなった方の魂がユラユラと天に昇っていくのも見えたそうだし、被災地などに行くと亡くなったばかりの方の魂がたくさん寄ってきて助けを求めるそうなのです。(この人なら、とわかるみたいですね)

 

 

 

で、ベルのことも色々聞いてみたのですが、お話をしたあと、「どうあれね…、ベルちゃんの魂はほんと~~~~~に幸せなんですよ」と言ってくださり、その一言でなんだかすべてが報われて悩みがなくなった気がしました。

 

それまでは余計なことをゴチャゴチャ考えていたけど、その一言ですべてが解決しちゃったみたいな。

 

そうしたら、悲しむ種なんて何もないじゃないか、という感じになってしまったのです。

 

心に深く刺さった一言でした。

 

 

 

みんなに可愛がってもらって、安心して暮らせて、体にいい美味しいものをたくさん食べて、いつも一緒にいて…、そのかわり大きな病気を抱えて生まれてきたけど、決められた10年は楽しく過ごせたよねぇ、と。

 

 

だから今、家族や友達と話をしても「ベルはほんとに幸せだったよね」「いい時に逝ったよね」と、そんな言葉しか出てこないのです^^

 

 

 

 

Gさんという方は、言うべきことというか事実ははっきり言うけど、相手に対する思いやりがあって、そのバランスが絶妙なんですね。

 

人よりできるものがあったり、専門的な知識があると、そこにエゴが出てきてしまうものですが、そういうところがなくて。

 

そして、そういう姿勢が人を救うことになるのだと思います。

 

 

あ、ベルも幸せだったけど、私も人に恵まれて幸せでしたね☆彡