#野兎たち  | 新宿信濃町観劇部日記時々野球とラグビー

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兵庫県出身。還暦直近の年男。文学座パートナーズ倶楽部会員。

作 ブラッド・バーチ 
翻訳 常田景子 
演出 マーク・ローゼンブラット& 西川信廣 
 
可児市文化創造センター+リーズ・プレイハウス 日英共同制作公演 
 
Missing people の方が直接的で、野兎たちだとその意味が深い。当日パンフレットには、野兎が失踪した兄を想起させるような写真があるが、「野兎」ではなく「野兎たち」なのだ。そしてその野兎が台詞に登場するのはストーリーの本筋とは直接関係なく、妹が兄を回想する子供時代のエピソードの中のひと場面に過ぎない。
 
Missing Peopleであり、野兎たち。そう、いずれも複数。パンフレットに書かれたローゼンブラットの言葉に「日本人もイギリス人もともに、ある意味、互いに姿を消し、消息を絶っている」とある。失踪した兄は舞台に登場しないが、彼が歩んできた人生が彼自身のものではなかったことを妹が語り、それを認めたくない父母が認めざるを得なくなる展開。
 
日英の家族、いや歴史や文化のはざまに存在するサキコ。彼女の通訳の機微によって互いの家族が接点を見出しかけるが、その理解は婚約者ダンには得られるものの、母リンダにはなかなか届かない。
 
サキコが兄嫁康子と会って現実を把握し、兄の想いを知り、家族の崩壊のリスクに気付く。そして・・・。
 
アンケートの最後に英文でこう書いた。I sincerely hope that the last door bell brings good news to the familyと。ここは両方の見方があるだろうが。明日観る予定のミラーのAll my sonsの悲劇的な結末を知っているが故に、希望的になりたくなる自分がいたのかもしれない。
 
さて、Leedsと可児のコラボレーションについて。思惑通りか意図を越えてかわからないが、多様性の克服は簡単ではないながら、それを越えたときに得るものの果実は確かにあっただろう。Leedsと可児での稽古を経て、両都市と東京で演じられるこの作品、イギリス人の作家がよくここまで日本人の心の中を理解できたと私は驚きを以て受け止めたが、各地特にLeedsでどういった印象を受けるか、それが今から興味深い。
 
関係者の苦労に素直に拍手を送りたい。陳腐な言葉だが、素晴らしい作品でした。