文学座アトリエ70周年プレイベント | 新宿信濃町観劇部日記時々野球とラグビー

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兵庫県出身。還暦直近の年男。文学座パートナーズ倶楽部会員。

12月アトリエ「メモリアル」の終演後、岸田國士のラジオドラマ「空の悪魔」を楽しんだ後にトークショーが催された。このラジオドラマ、1933年にこんな内容が、と驚かされるもの。俳優たちの声や動きもさることながら、効果音がこう出されているのか、との気づきが面白い。ラジオドラマの裏側を覗き見た気分。

さて、プレトーク「アトリエと時代を映す創作劇」。角野卓造×今井朋彦で司会は生田みゆき。中身が濃く、まだまだ聴いていたい。そう思わせる内容。

角野卓造がつかこうへい作品との出会いについて語る。彼はつかこうへいが文学座アトリエ公演に書き下ろした73年の「熱海殺人事件」に出演している。学生時代に小劇場に傾倒していた角野卓造。当時の小劇場運動が新劇を否定しているなか、演劇人として歩むに当たり、小劇場系か文学座かとの究極の選択肢を前に悩む。自分が好きな芝居は小劇場、それを封印して進んだ文学座に、あのつかこうへいが作品を書き下ろす。最初の10年は丁稚奉公と覚悟していたら、なんと熊田留吉役に抜擢。その後もアトリエ公演で別役実作品に出演するなど、創作劇@アトリエという流れに浸かった経験を語ってくれた。

正面を向かない演技という話題になった。本公演や地方公演は舞台と客席が明確に分離された大規模な劇場上演が基本。だから役者が正面を向かない演技は好まれない。一方で、舞台も客席も自由に作り込める信濃町アトリエでは、必ずしも正面を向かない演技が可能になる。

今井朋彦は青年団を良く観ていたそうだが、97年に平田オリザがアトリエに書き下ろした「月がとっても青いから」に出演したときのエピソードを語った。ワークショップからの当て書きで思いもよらぬ役(UFOと交信する男)に。当時タブーとされた、客席に背を向ける演技も。

今回のメモリアル、役者は客席を向いてセリフを話す。観客と圧の交換を楽しんでいる、そんな話もある出演者から聞いた。

つかこうへい、別役実、平田オリザ。世代ピカイチの作家が書き下ろす。その意味で最近でも松原俊太郎や古川健、ノゾエ征爾なども同じ。熱海殺人事件は、上演を重ねるに連れてつかこうへい自身がどんどん形を変えていった。角野は来年のアトリエでの熱海に、「文学座らしく本に忠実に、初演当時のものを再現する。若い演出家が手掛けることも含めてそれがどうなるか楽しみ」、と。

このトークを聞けば、松原俊太郎×今井朋彦の「メモリアル」がサッパリわからなくても、落胆する必要はなく、むしろ新しいものへの違和感を乗り越えて、次の世代の演劇体験ができたことにワクワクすれば良い事がわかる。

簡単にわかる芝居なんて一回消費したらそれで終わり。何度も噛み締め、その度に新たな発見がある。そんな作品との新鮮な出会いに価値が見出されるからこそ、映画の倍以上する値段に意味があるのだと私は思う。

蛇足。

だからこそ、今回のメモリアル関係者、或いは演劇界の皆さんにお願いしたい事がある。観客に挑戦するのはいいが、同時に寄り添って欲しい。観客と会話して欲しい。感想を直に聞き、自身の感想、解釈を伝える。それにより、提供する側と受ける側の考えや感性の違いが認識される。少なくとも観客側は、そこからの気づきが次の観劇意欲に繋がる筈だ。

私は、アメリカと天皇というキーワード、メディアと大衆に関わるセリフが頭に残った。メモリアル、まさに時代を映す創作劇だった。