1995年1月17日 午前5時46分
朝のバイト明けに、テレビのニュースを見て愕然としていた。
一番のショックは、阪神高速神戸線の高架が捲れ上がっていた光景。
阪急神戸線の塚口駅の脱線の様子。
かつて何度も通った場所や遠足で通った場所が変わり果てた姿になっていた。
当時一人暮らしをしていたから、すぐに実家に連絡したら、父親の友人が音信不通…。毎日心配していたのが思い出される。
その年の夏、友人の実家に向かうため車で神戸を通過。瓦礫が未だに残り、復興に向けて人々が前へと進んでいた。
父の友人の行方も未だ知れず。
この時の神戸の光景は未だに鮮明に覚えている。
「自分に何かできないだろうか…」
そう思っていても、何もできなかった自分。ただ募金をすすんでするぐらいしかできなかった。
阪神淡路大震災から28年。
あまりに衝撃的なニュースであった。
それから数年経って
2011年3月11日 午後2時46分
避難訓練は何度もした事があっても、本当に避難をしたのが東日本大震災。
あの時も震災ボランティアに向かう人が多かった。
「自分に何かできないだろうか?」
と強く思ったが、阪神淡路大震災の時とは違い、結婚もして子供も生まれ、家庭を持つ責任を持つ身となり、職場でも責任ある立場となっていた。
そうは簡単に行動できないことに、自分の無力さを知ったのもこの時である。
その後地元で、声をかけられたのが消防団への誘いである。
すぐさま入団したのは言うまでもない。
ニュースや雑誌などで、消防団の悪いイメージがあるのは周知の事実。
でも実際に入団してみると、同じ思いで地元を守りたいという方がいるのも事実。
火災の時、水害の時、自分にできる事ができたのが消防団の活動。
年功序列や団費の使い方、古く悪いしきたりがなくなれば、純粋に力になりたい人だって、増えてくれるのではないかと感じます。
毎年1月17日のこの日、
いつも防災について考えさせられます。