昨年父の友人が亡くなった。私も幼少期の頃から親戚のおっちゃんのように可愛がってもらっていた。
コロナ禍で葬儀にも出られず、なんとか今年になって先週大阪へお墓参りに行くことができた。
弟が産まれる時や、父親の職場に遊びに行った時、それぞれの家族で伏見稲荷に行った時など、ずいぶん世話になったもの。
父親の大阪の親友とも言うべきおっちゃん。少しでも早くお参りしたかったものだ。
ひさびさの大阪。
どうせなら両親と弟、私。親子水入らずで大阪旅行。
両親も高齢のため、そうはあちこち行くことはできないものの、小さい頃毎週のように出かけた嵐山にも足を向けた。
渡月橋から桂川沿いに北へ
川のほとりにあるのが、この茶屋。
父は必ずお酒とおでんを
私は滝で冷やされたサイダーを頼んでひと休み。家族4人で毎度この茶屋に来たことが懐かしい…
あちこち出かけることよりも、昔の思い出話に花が咲き、時が立つのも忘れるぐらい。
そして、翌日大阪に戻り
当然のように昔住んでたマンションへ
ここでも家族が公私共にお世話になった大家さんに37年ぶりの再会。
大家さんも高齢となり、ご自分ではボケで忘れてしまってるとは言うものの、母親の顔を見るなり抱きついてくれた。
「奥さんの顔はよう覚えとる。よう来てくれはったな〜。ほんまうれしい」
話が進めば進むほど、大家さんの記憶も、我々の記憶も蘇る。
マンションの外観。内装の様子や間取り。階段の踊り場の様子。何もかもが懐かしい。住んでいた時からオシャレなマンションだと思っていたのだが、某有名な芸術家と建築家によるデザインで、このマンションを建てたと大家さんから伺う。
我が家はこのマンション第一号の住人でもあったことからも、親密さが伺える。
大家さんのご好意で、今は閉鎖している屋上のベランダに入ることが許された。
なんだろう…
言葉に言い尽くせない感動
そしてノスタルジー
子どもの時、楽しい時も嬉しい時も寂しい時も悲しいときも悔しい時も、このベランダに上がって何度も見てきたこの光景。
我が家の記念行事で写真を撮る場所もこの場所。
夕景の様子をひさびさに見た瞬間
いろんな感情が込み上げて、
ただただ涙が溢れてしまう。
これからもこの光景は一生忘れることはないだろう。
大阪駅近辺は、万博に向けて再開発中。
かつて知っていた大阪も、少しずつ知らない大阪へと変わっていくことに寂しさを感じていた。
でも、ここはあの頃の大阪とほとんど変わりがない。
両親、弟とともにこの場に戻って来れたことを嬉しく思う。