終戦記念特別企画「見つめなおそう!戦災の傷跡」(2) | 「HEROINE」著者遥伸也のブログ ~ファンタジーな日々~

終戦記念特別企画「見つめなおそう!戦災の傷跡」(2)

引き続き、岡山市内にある「戦災の傷跡」を巡ってみました。

次はこちらの、岡山市蕃山町にある「本行寺」です。




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本行寺は、戦災前はこことは別の場所にありました。(旧山崎町現、野田屋町)
しかし、昭和20年の岡山大空襲により、道路に面した山門だけを残して焼失して

しまいました。

戦後、寺は現在の場所に再建されました。

ケヤキで造られた山門は、焼夷弾の油脂によりその柱に大きな穴が開いてし

まったものの、そのまま境内の正面に据えられ、かつての傷跡を現在に伝え

ているのです。







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こちらは案内板です。






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これがその山門です。








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そしてこれが、焼夷弾の油脂で焼け、穴があいてしまった門の柱です。






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これを見ていると、見る者の心にも、深い傷が刻みつけられるような気がします・・・











そしてこちらは、史蹟「岡山藩 藩学跡地」です。


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岡山藩藩学は、藩主池田光政が寛文九年(1669)に藩士の子弟教育

のため創設した学校でした。

学校の敷地は南北202.5メートル(112間半)、東西110.7メートル(61間半)

あり、南から南門(本瓦葺き、薬医門)、池、校門(入母屋造り、本瓦葺き)、
講堂(入母屋造り、本瓦(錣)葺き、建築面積120坪)、中室、食堂を一列に

配し建てられ、東側に文学場五舎、西側に演武場五舎等が配置されていま

した。
藩学校は、廃藩置県後の明治4年(1871)7月に閉校になり、その後、明治9

(1876)に岡山県師範学校、同44年(1911)年岡山県女子師範学校が置

かれ、旧建物は漸次撤去されていきました。

大正11(1922)年の史跡指定当時には、講堂、校門、南門等が残されていま

したが、昭和20年6月29日の岡山空襲により、焼失してしまいました。





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こちらは戦災前の様子です。

ご覧の通り、正面には講堂がありましたが・・・








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現在は門や建物は全て空襲で焼失し、ご覧の通りの有様です。







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戦争はこのように、国の貴重な文化財をも奪い去っていきました。


(つづく)


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