77(最終回)-ウォーキング小説-
「広樹。俺は、俺は一年前からこの駅で、清掃の仕事を始め、細々と食いつないでいたんだ。最近ここで、お前の姿をちょくちょく見かけるようになったんで、いつかこれを、お前に渡そうと思っていた。十五年前のあの日、お前のリュックサックの中から見つかった、由梨絵の手紙だよ。すまない。その手紙に、もっと早く気づいていれば……」
俺はゆっくりと起き上がり、権藤の側まで歩こうとしたが、すぐ様両足から力が抜け、へなへなと尻餅をついてしまった。
だが俺は負けじと、今度は両肘に力を込めると、権藤の側まで這って進んだ。
そして何とか彼の右手から、手紙を抜き取るのに成功した。
俺は深呼吸すると、這いつくばったままの姿勢で、手紙をゆっくりと広げ、携帯していたライターで火を点して、文面に目を凝らした。
「広樹君。これを読んでいる時は、どっちかが捕まっちゃってるんだね。悲しいよ、すごく。でも約束しよう。そうなっても、必ずもう一度脱走して、再会することを。いつか話したよね? 私のお父さん、昔土木会社に勤めていて、JRの工事を請け負ってたんだって。だけどある日突然、事故で亡くなっちゃった。亡くなる前、いつだったか、教えてくれたことがあるんだ。F駅地下鉄の7番ホームの線路沿いにね、外に抜け出せる、秘密のマンホールがあるんだって。それでこうしない? 私たちのどちらかが捕まってしまったら、ホームから飛び降りて、線路沿いに壁ぎわを歩いて、そのマンホールに入って隠れるのよ。いい? もし広樹君が捕まって、私が無事に逃げられたら、私その中で待ってる。蓋に赤いマジックでしるしをつけておくからね。広樹君も私が捕まったら、そこで私のこと、待ってて。絶対に約束だよ。私、死んでも広樹君のこと、待ってるから。それじゃあ、またね。 by 由梨絵」
読み終えた時、手紙から、紙片がぽろりと落下した。
中に挟げてあったのだろう。
「由梨絵はあの後どうなった? 」
「死んでたよ。そのマンホールの中で。お前をずっと待ち続けながらな」
「そ、そんなっ」
俺が叫んだ時―
気のせいだろうか。
ふとあの由梨絵の甘い香りがほんのりと漂ってきて、俺の鼻をくすぐった。
もしかしたら、この手紙からかもしれない。
とたんにいとおしさが甦り、俺は泣いた。
ただひたすら、泣き続けた。
「手紙に挟んでいた紙きれは、彼女がずっと、右手に握りしめていたものだ」
権藤がそう呟くと、俺は落下したその紙片を拾い上げた。
そして、ゆっくりと広げると、再びライターで火を点し、目を近づけた。
それにはこう書かれていた。
「二人の明日が、永遠に続きますように」
すると権藤が、今にも途切れそうな心許ない声で、俺に必死で訴えかけた。
「いいか、広樹。ここは大分様変わりしたが、あの当時、F駅の7番ホームだった場所に違いはない。俺はもうだめだ。だがお前は違う。お前はそのマンホールを見つけ、外へ脱出しろ。そして永遠の明日を生きるんだ。きっと彼女は、今でもそこで、お前のことを待ち続けているから」
俺は大きく頷くと涙を拭った。
そして紙片を右手でぎゅっと握りしめ、再びゆっくり立ち上がると、大地の感触を確かめた。
もう両足は麻痺していなかった。
俺は前に向かって、力強く一歩を踏み出した。
―了―

