岡山遺跡ものがたり-おとっちゃん(27)-
「それじゃあ、この原稿を公表させてもらってもいいんですね?」
星乃花が恐る恐る問いかけると、徳太郎はにこりと笑って、大きく頷きました。
そして小巻も、うかない顔ながら、小さく頷くと言いました。
「お兄ちゃんに任すよ」
それを見て、星乃花は「ありがとうございます」と言って、二人に頭を下げました。
それから―
星乃花は、徳太郎が手配した隠れ家に一週間こもり、漱石の原稿をワード文書に落とし込みました。
そして出版社の編集部に、電子メールでファイルを送信したのです。
こうして漱石の幻の小説「おとっちゃん」は、週刊新星のホームページに掲載され、たちまち話題となりました。
しかしほどなくして、週刊新星のホームページは閉鎖されました。
そして星乃花の勤めていた出版社は、たちまち大王グループに買収され、同時に週刊新星の編集スタッフは皆、強制解雇に追い込まれました。
しかし星乃花たち新星のスタッフには、漱石の原稿を公表すると決断した時点で、すでに覚悟はできていました。
むしろスタッフは皆、満足していました。
政財界の闇の権力者―笹塚剛三に一矢報いることができたからです。
ところが―
徳太郎たちの身の上にも、予想以上の苦難がのしかかりました。
放火された店舗は、ぼや騒ぎで済んだとはいえ、床や壁がすすけてしまい、改装資金が必要でした。
その資金を調達するには、信用金庫から借り入れる以外に方法はありませんでした。
しかし営業が再開できない状態では、金融機関から融資など受けられません。
にもかかわらず、保健所からは何の音沙汰もありませんでした。
業を煮やした徳太郎と小巻は、保健所に出向きました。
そして衛生課の受付に頼んで、思い切って課長を呼び出し、尋ねてみました。
「一か月ほど前に、食中毒が発生した疑いがある言うて、衛生検査を受け取ります小和田と申しますが、その後検査の結果を知りとうてやって来ました」
すると課長は困惑した表情で応えました。
「その件は、脇坂に一任しているので、私どもには分かりません」
「ほんなら、脇坂さんに会わせて下さい。検査の結果はどうなっとるんか、至急確認したいんで」
ところが課長はおどおどしながら言いました。
「それが今……東京の本省へずっと出張に出とりましてね。なかなか戻ってこんのですよ。ちょうど、お宅へ調査に入った頃からです。実は私どもも、お宅の件に関しては、全く報告を受け取らんのですよ。脇坂が全部、資料を持ち帰ってしまったんでね」
それを聞いて、小巻が声を荒げました。
「そんないい加減なっ。私らの一生がかかってるんですよ」
「は、はあ。そう言われましてもね。とにかく、脇坂が戻って来るまでお待ち頂けませんでしょうか? すいませんね」
課長は頭を掻きながら、弁明しました。
その様子を見て、徳太郎は悟りました。
課長も事情をよく把握していないことを。
「いつ戻るんですか? 脇坂さんは」
小巻がそう言って、更に課長を追求しようとしましたが、徳太郎はそれを制しました。
「小巻、もうええ。帰ろう」
「でも」
「ええから。この人たちに文句を言うても、どけえにもならん」
「それって、もしかして……」
小巻がそう言いかけた時、徳太郎は課長に一礼すると、そのまま小巻の手を引いて、保健所を出ました。
そして小巻に言いました。
「笹塚剛三じゃ。笹塚が裏で圧力をかけて、俺たちのラーメン屋までも、潰しにかかっとるんじゃ」
「そんな。たかが小さなラーメン屋一つに、そこまでするなんて……」
「それだけ、笹塚の恨みの根が深いいうことじゃ。まあ、覚悟はしとったけどな」
「そんな。こんなことが、こんなことが許されていいの、お兄ちゃん?」
小巻は悔しそうに顔を歪めると、うな垂れました。
しかし徳太郎は笑顔を見せ、言いました。
「小巻、諦めるな。やれるだけのことはやってみよう。漱石も言うとったじゃろう? 正しいと信じたこと。いや、ほんまに正しいことをやり遂げる勇気。それが人の価値を決めるんじゃと。だから俺はやる。そうすれば、きっと道は開ける。今はそう信じれるんじゃ」
それを見て、小巻もようやく頬を緩ませると、呟きました。
「お兄ちゃん、変わったね……」
(つづく)

