岡山遺跡ものがたり-おとっちゃん(12)-
その後、一旦アパートに戻り着替えを済ませた徳太郎は、愛車のフィットに乗り込み、駅前の商店街へと向かいました。
今まで、小巻以外の女性を助手席に乗せたことのない徳太郎は、星乃花とどんな会話をしたらよいのか、あれこれと考えながら車を走らせました。
すると、次第に緊張で体が張り詰めてきて、徳太郎は、そのままどこかに逃げ出したい気分にかられましたが、どうにか自分の体をコントロールして、駅前商店街の入口へとたどり着きました。
そんな徳太郎の心の内など知る由もなく、星乃花は車を見つけると、にこやかに手を振り、急いで側まで駆け寄ってきました。
それを見て徳太郎は、深呼吸をして気を静めると、そっとドアロックを解除しました。
すると星乃花は「どうも」と微笑んで、助手席へと乗り込んできました。
徳太郎は「お待たせしました」とぎこちなく言葉を返すと、そのまま岡山城の方へと、車を走らせました。
「徳太郎さんみたいな、いい方と知り合えて、ほんとラッキーでした。岡山は初めてだから、地図を見ながらいろいろ一人で回るの、大変だろうななんて思ってたんです。おかげで、短期間で効率よく、取材ができそうです。ほんと、ありがとうございます」
「い、いや。お礼を言うのはこっちの方です。全国版のグルメ雑誌に店を取り上げてもらえるなんて。願ってもないことですけえ」
「い、いえ。徳太郎さんのラーメンの味がいいからですよ。徳太郎さんなら絶対大丈夫。ブレイクしますよ。自信を持って下さい」
「あ、ありがとうございます。ところでいっぺん、聞いてみたかったんですけえど、花淵さんっていうラーメン評論家の人が、どうしてうちへ来られたんですか?」
徳太郎が何気にそう質問すると、星乃花は長い髪を右手で掻き上げながら答えました。
「ああ。花淵一郎さんですね。実はあの方、岡山の方なんですよ。この間里帰りした時、徳太郎さんのお店に偶然立ち寄られたんです。そこでいい味のラーメン屋があるって、私に教えてくれたんです。私、岡山に取材に行くことになってたんで」
「それで星乃花さんも、うちに来てくれたんですね」
「そうです。それにしても食べてみてよく分かりましたよ。花淵さんの舌に狂いはなかったって」
「あ、ありがとうございます」
それを聞いて上機嫌になった徳太郎は、そのままスピードを上げると、一気に岡山城の駐車場へとたどり着き、そこへ車を停めました。
そして星乃花を、そこから歩いて、岡山城の近くにある人気のイタリア料理店へと案内しました。
星乃花は店を見て、「素敵ですね」と嬉しそうに笑いながら、徳太郎の後に続いて、店へと入りました。
その後、徳太郎はスペシャルスパゲッティに舌鼓を打ちながら、星乃花と雑談に興じると、次に彼女を「夏目漱石岡山逗留の地」の石碑がある場所へと案内しました。
「ああっ。ここが明治25年7月11日から8月10日まで、漱石が逗留した旧内山下138番地片岡機邸跡ですね」
星乃花は石碑を見つけるや否や、声を弾ませてそう言うと、肩から提げていたトートバッグからカメラを取り出し、石碑を撮影し始めました。
「ご、ごめん、星乃花さん。俺、よう分からんのじゃ。その、漱石じゃの、片岡じゃの」
戸惑いながらそう言う徳太郎を見て、星乃花は「いいの、いいの」と言って微笑みかけると、今度は徳太郎にカメラのレンズを向け、シャッターを切りました。
「ああっ。ほ、星乃花さん、俺の写真、撮らんでくれ。恥ずかしいけえ」
と、徳太郎は慌てて、条件反射のように顔を両手で隠していました。
徳太郎は、自分の皺が深く、老けた顔を写真に撮られるのが、大の苦手でした。
それは、他人に卑下されながら育ってきた徳太郎の、後遺症の一つだったのです。
しかし星乃花は、そんな徳太郎を見て、不思議そうに声をかけてきました。
「なんで隠すのよ? 記念に一枚くらいいいでしょう? 徳太郎さん、愛嬌があって、とても素敵な顔よ。誌面には載せないから、いいでしょう?」
「ほ、星乃花さん……」
徳太郎はその信じられない言葉に、唖然としました。
愛嬌があって素敵な顔―
生まれてこの方、そんな風に自分の顔についてを言われたことなど、一度もありませんでした。
おっさん顔。皺ぶくれ。じじい顔。きなこじじい―
今まで、そんなひどい言葉ばかりかけられてきた徳太郎にとって、星乃花のその言葉は、お世辞だと分かっていても、最高に嬉しいほめ言葉でした。
「星乃花さん、ありがとう……」
徳太郎はぼーっと星乃花に見惚れながら、そう呟いていました。
「変な徳太郎さん」
星乃花はそう言って笑うと、次にそこから見渡せる、旭川や操山といった風景を、カメラで撮りました。
そして感慨深げに呟きました。
「漱石もきっと、この風景を見てたんですね」
「そ、そうじゃな。きっとそうじゃ」
徳太郎もそんな星乃花を見て嬉しくなり、笑顔で答えていました。
その後―
日が暮れかかって来たので、徳太郎は星乃花を、宿泊先の駅前のホテルまで車で送りました。
そして明日、午前十時に車で迎えに来ると約束をすると、そのまま別れました。
その時、徳太郎の頭の中は、星乃花の愛らしい笑顔で一杯になっていました。
星乃花は自分の笑顔を、素敵だと言ってくれた。
あれは本心だろうか?
だとしたら、頑張れば星乃花と、恋人になれるかもしれない?
徳太郎の胸の中に、そんな期待が、ゆっくりと膨らんでいきました。
と、その時―
突然、胸ポケットの中の携帯電話が鳴り響きました。
慌てて電話に出ると、それは母からでした。
「徳、徳、大変じゃ。父ちゃんが。父ちゃんが」
(つづく)

