岡山遺跡ものがたり-おとっちゃん(3)-
「あ、阿呆たれって……父ちゃん。そんな言い草なかろう。徳はわざわざ心配して駆けつけてくれたんよ」
母が呆れて言いました。
しかし父は、再び呟きました。
「ええか? か、金、ちゃんと返せよ」
と、それきり、父は喋らなくなってしまいました。
それを聞いて、徳太郎は思わず言葉を失ってしまいました。
こんな状態になってまで、金に固執するのか―
心配して駆けつけてきた息子に、懸命に話しかけた言葉が「金を返せ」の一言とは……
徳太郎はショックのあまりうな垂れると、そのまま病室を出ていきました。
と、小巻もそれを見て、外へと出ました。
そして徳太郎を慰めました。
「兄ちゃん。そんな落ち込むことないって。父ちゃんは、兄ちゃんを励まそうと思って、あんなことを言うたんと思うよ。じゃからさ、二人でお店、頑張っていこうよ。ね」
「そ、そうじゃな。よしゃあ。今からすぐに、明日のスープを仕込んどこう。一日遅れじゃが、明日開店じゃ」
徳太郎は気を取り直すと、無理やり自分を鼓舞して、決意表明をしたのでした。
そして、父の看病を母に任せると、小巻と共にすぐさま店へと向かい、まずはスープの仕込みに取りかかりました。
冷蔵庫に保管していた大量の鶏がらを水洗いすると、寸胴に入れて強火で煮込み、灰汁取りをしながら、骨を砕いていきました。
そして長時間が経ち、水の量が半分くらいになったところで、スープをこしてがらを取り除き、鶏皮を入れると、さらに弱火で煮込み始めました。
その間、小巻はチャーシュー作りを行っていました。
まな板の上で、チルド冷凍した豚のバラ肉を1キロずつ前後に切り、ロール状にしてタコ糸をしっかりと巻きつけ、前日仕込んだラーメンスープで、ことこと煮込みました。
こうして徳太郎たちが、着々と仕込み作業を進めている時―
「こんちは」
突然、誰か戸を開け、店に入ってきました。
「い、いらっしゃい」
と、徳太郎は思わず声を掛けていました。
そこにいたのは、眼鏡をかけた、インテリ風の男でした。
男は狡猾な笑みを浮かべながら、「よお、久しぶり」と言って、徳太郎に右手を上げました。
その笑みを見た時―
徳太郎ははっと、その男の正体に気付き、思わず後ずさりしていました。
「元気だった? おっさん」
そんな、うろたえる徳太郎になどおかまいなく、彼はにこやかに声をかけてきました。
「あ、あんたは……木島」
そう。
その男の名は木島悠太。
中学時代、徳太郎をいじめていた、不良グループのリーダーでした。
「ほんと、久しぶりだなあ。お前の顔を見てるとさ、昔の頃を思い出して、なんか懐かしい気分に浸っちゃうんだよな。そうそう。この度は開店おめでとう。いい場所にお店が持てたじゃねえか。よかったよかった。ところで、今日から開店じゃなかったの?」
「ええ。いろいろありまして、明日に延期です」
徳太郎は昔の癖で、ついぺこぺこと、敬語を使っていました。
小巻はそんな徳太郎を見ると、呆れて大きな溜息を吐きました。
「そうかい。そりゃあ残念。今日はどんなラーメンが食べれるか、楽しみにしてたんだけどね。明日までお預けってわけか。あっ、そうそう。これから仲良くお願いしますね。今日は一言、挨拶がしたくって来たんだわ」
木島はそう言うと、懐から名刺入れを取り出し、中から一枚名刺を抜き取って、「ほい」と徳太郎に渡しました。
見るとそこにはこう書かれていました。
「株式会社大王 中国地区営業支援部長 木島悠太」
「大王って、まさか」
それを見て徳太郎が思わず呟くと、木島がうほんと咳払いして言いました。
「そう。俺、実は来月オープンすることになった、餃子の『大王』岡山駅前支店の店長をやらしてもらうことになったんだわ。だからまあ、近所のご同業者のお歴々に、こうして挨拶回りをさせてもらってるわけさ。だけど奇偶然だね。お互いこうして、同じ時期に同じ場所で、店長デビューってんだから。まあ、昔のよしみでさ、いろいろこれからもよろしく頼むわ」
「え、ええ。こちらこそ」
徳太郎は、その含みのある態度にびくびくしながらも、ついお辞儀をしていました。
「まあ、また寄らせてもらうわ。明日はちゃんと店開いといてよ。じゃあ」
木島はまたしても狡猾な笑みを浮かべてそう言うと、右手を上げ、店を出ていきました。
「感じ悪い」
その後姿を見て、小巻が呟きました。
と同時に、電話が鳴り響きました。
「私が出るよ」
小巻がそう言うと、一旦作業の手を止め、受話器を取りました。
「もしもし、ぶっちぎりラーメンです。ああ、お世話になります」
と、最初は穏やかな口調でやり取りをしていた小巻でしたが、途中から突然、態度が荒々しくなっていきました。
「な、何ですって? そんな、ひどいじゃないすか。今になって……」
徳太郎はそれを聞いて、何事かと、急いで小巻の側に近寄りました。
すると―
「分かりました。もうええですわ」
小巻は声を荒げてそう言うと、ぴしゃりと受話器を置いてしまいました。
「一体何が?」
「今日、シティ情報岡山の記者が、お店の取材に来てくれることになってたでしょうが。雑誌で、私たちのお店を紹介してくれるからって」
「ああっ、そうだ。忘れてた」
「もうええのよ。向こうが私たちのお店を取り上げるの、断ってきたから」
「ええっ、どうして?」
「向こうが言うにはね。編集会議で決まったんだって。新しくオープンする店は、やっぱ開店して暫く様子を見て、評判を聞いてみてからでないと、誌面には取り上げられないって。でも納得できなかったから、本当の理由を問いただしたの。そしたら、ゲロしたよ」
「何て?」
「来月オープンする餃子の『大王』の特集記事に誌面をさくことになったから、うちは取り上げられなくなったって」
「何だって……」
「これって絶対陰謀よ。さっきここに来た、あの嫌味な奴のね」
(つづく)

