土神(最終回 後編)
そしてゆっくりと、引き金を引こうとした。
その時だった。
「ジィッ」と小さな鳴き声がして、突然空から小さな物体が、猛スピードで落下してきた。そしてそれは、田島の右目を直撃した。
「いてっ」
田島はたまらず、右手で右目を押さえた。
だが攻撃はそれだけでは終わらなかった。
空から無数の、黒く小さな物体が、まるで雹(ヒョウ)のように、次々と田島めがけて落下してきたのだ。
「うわああっ。てててっ」
と、その数は次第に増えていき、いつしか石つぶてとなって、激しく田島を攻撃し始めた。
「た、助けてっ」
田島はたまらず、天に向けて銃を一発撃つと、そのまま崩れるように倒れ込んだ。
一体何が起きたのか?
逸樹にはまったく分からなかった。
ただ、その無数の物体が、逸樹を救ってくれたのは確かだった。
逸樹はそれが何か確認しようと、恐る恐る、倒れた田島の体を覗き込んだ。
すると田島の全身は、その無数の黒い物体に埋め尽くされていた。
そのせいで、田島の体が黒い、大きな石の固まりのように見えた。
逸樹は震える手で、そっと地面に蠢いていた、その物体を一つ拾い上げ、見つめた。
「ま、まさかっ」
それを見て、逸樹は驚きのあまり、声を上げていた。
それは―
クマゼミだった。
何と、おびただしい数のクマゼミが、空から次々に、田島の身に降り注いでいたのだ。
こんな光景は生まれて初めて見た。
逸樹はそれを知った途端、恐怖と驚きのあまり、思わず腰を抜かし、その場にしゃがみ込んでしまった。
そして―
やがて田島がぐったりして動かなくなると、クマゼミは一匹ずつ空に飛び立っていった。と、みるみるうちに、田島の体を覆っていた漆黒の闇は消えていき、最後には田島の無惨な骸だけが残された。
逸樹はゆっくりと立ち上がると、その顔を恐る恐る覗き込んだ。
と、田島は両目を潰され、さんざんもがき苦しんだような、すさまじい形相をしていた。
どうやら死因は、窒息死のようだった。
「天罰だ」
逸樹はぽつりと呟いた。
すると、側にあった樫の木に、ふと目が行った。
見るとその幹には、真っ白なセミの抜け殻がくっついていた。
幼虫が成虫に脱皮したのだろう。
逸樹はそっと、その抜け殻を手に取って見つめた。
するとそれは、見たこともないほど白く透き通っていて、真珠のように輝いていた。
その時、逸樹は思った。
これは姉の抜け殻なのだと。
姉はきっと、土神様となって、逸樹のことを守ってくれたのだ。
そして今、その役目を終え、天に帰っていったのだと。
逸樹は思わず天を仰ぐと、両手を組み感謝の祈りを捧げた。
「ありがとう、春奈姉ちゃん。そしてさようなら」
その時、逸樹の背中が、すっと軽くなったような気がした。
すると遠くから微かに、シャアシャアと、クマゼミの大合唱が聞こえてきた。
その声は、まるで逸樹に別れを告げているかのように、はかなげだった。
―了―
*小説は今回で、一旦休止致します。
復帰後は、またよろしくお願い致します。
