土神(3)
あの時の自分をー
自分を助けなくては。
逸樹は心の中でそう叫びながら、必死で駆けた。
そして鳥居をくぐり抜け、境内へたどり着いた時―
逸樹はふと立ち止まり、目の前に広がる光景を、じっと見つめた。
と、やはりそこには、悪ガキどもによって地面に押さえつけられている、情ない自分の姿があった。
「何てことするんだっ」
すると、ねじ伏せられていた自分が、必死の形相で叫んだ。
間違いなく、あの時と同じ光景だった。
助けねば―
逸樹はそれを見て、すぐさま側まで駆けていこうとした。
しかしだめだった。
なぜか急に、体が動かなくなってしまったのだ。
くそっ。
なぜだ?
逸樹は焦ったが、どうしようもできなかった。
「うるせえ」
すると、子分二人が叫びながら、自分の背中を蹴りつけた。
どうやら彼らは、目の前に立っているもう一人の逸樹の存在に、気づいていないようだった。
そうこうしていると、じりじりと炎が紙袋を焦がしていき、気づいた時には、いつしかクマゼミの声はぴたりと止んでいた。
そして最後に一瞬、大きな炎がぼうっと立ち上がると、紙袋全体を包み込み、あっという間に跡形もなく、全てを燃やし尽くしてしまった。
その後、 虫が焼け焦げた、こうばしい匂いが周囲に立ち込めた。
その不快な匂いと、頭痛のせいで、逸樹は気分が悪くなり、次第に意識が遠のいていった。それからどれ位時間が経過しただろうか?
ぼんやりとした頭のまま目を開けると、しゃがみ込んでいた一太が、木の棒きれに突き刺したクマゼミの骸を、もう一人の自分の口元に押し付けようとしていた。
手下の二人がそれを見て、ぎゃははっと、下品な笑いを逸樹に浴びせた。
「さあ、食え」
すると一太は、ますます調子に乗って、逸樹の鼻を指でつまむと、強引に口を開かせようとした。
だが逸樹は固く口を閉ざし、懸命にそれを拒んだ。
「どうした? 遠慮するこたあねえぞ。いつものように食えよ」
と、子分の二人も、逸樹の頬を平手で叩き、強引に口を開かせようとした。
うぐぐっ。
逸樹は必死で助けを呼ぼうとしていたが、言葉になってはいなかった。
彼はいつまで抵抗できるのだろうか?
このまま抗うことに疲れ、人間として最低の屈辱に甘んじなければならないのだろうか?
彼の姿を見つめながら、逸樹はぼんやりとそんなことを思っていた。
すると―
だとしたら死のう。
もう死ぬしかない。
逸樹はふと、あの時自分が、心の中でそう決意したのを思い出した。
その時だった。
「こらっ。あんた達、何してるのっ?」
後方で叫び声がした。
思わず、はっと後を振り返ると、そこには高校生の姉、春奈が立っていた。
逸樹は懐かしさのあまり、彼女の側に駆けていこうとした。
しかし春奈は彼の存在に気づくことなく、般若のような凄まじい形相で、もう一人の自分の元へと駆けていった。
その時の春奈は、記憶の中にある、いつも仏様のように温厚な笑み浮かべていた彼女とは、全くの別人に見えた。
「何ばかなことしてるのっ」
と、春奈は駆けつけるや否や、逃げようと立ち上がった一太の頬を、思い切り張った。
と同時に、一太はよろよろと後ずさると、そのままぶざまにも尻餅をついてしまった。
その春奈の、鬼畜のような勢いに圧倒され、子分二人は一太を置き去りにして、慌てて逃げていった。
残された一太は、半べそ状態で、悔しそうに春奈を見据えたまま、しゃがみ込んでいた。
「蝉はね。七年もの間、一生懸命地面の下で生き抜いて、それでやっと成長して外へ出てきたんだよ。ずっと、私たちの土地を守ってくれていた、土神様なのよ。それをあんたって子は……何てひどいことをするのよ。いつかきっと、ばちが当たるからね」
「ち、畜生、覚えてやがれ。このブス」
一太は虚勢を張り、そう吐き捨てるように言った。
そして慌てて立ち上がると、ぶるぶると体を震わせながら、神社の外へと走っていった。
「大丈夫?」
春奈は呆れ顔で、もう一人の自分を見つめると、そっと抱き起こした。
「いい加減に強い子にならなくちゃ。お姉ちゃん、いつまでもあんたのこと、守ってあげられないんだから」
春奈はそう言って優しく微笑むと、彼の頭を撫でた。
(つづく)

