土神(2)
「俺はどうなったんだ?」
逸樹はそう呟くと、恐る恐る周囲を見回した。
目覚めた時、いつの間にかさっきいた場所に、ぼんやりと立っていたのだ。
するとその時―
突然後方で、人が動く気配を感じた。
慌てて後を振り返ると、境内へと、鳥居を駆け抜ていく子供の姿が見えた。
と、それを見て、逸樹は思わず叫んでいた。
「俺だっ」
そう。
それは小学生の頃の、逸樹だったのだ。
と、その背中を見つめているうちに、ゆっくりと逸樹の頭の中に、昔の嫌な思い出が浮かび上がってきた。
あの頃―
逸樹の家は貧しかった。
父は会社をクビになり、日雇い人夫をしながら、何とか日々の生活費を稼いではいたが、いつ仕事を失うか分からない、不安定な状況だった。
だからあの頃は、新しい衣服を買い与えてもらえず、逸樹は毎日、着古しの白いティーシャツに黒い半ズボンといった、同じ格好で登校していた。
そんな彼を、クラスの連中は笑い者にした。
そしていつしか「貧民」という仇名をつけられ、卑劣ないじめに遭うようになっていた。
そんな夏休みのある日―
逸樹は鴨井神社の藪の中で、一人蝉を取っていた。
それから暫くして、ふと首にぶら下げた虫かごの中を見ると、いつしかクマゼミが五匹ほど入っていたのに気づき、そろそろ引き上げようと、踵を返した。
その時―
突然、クラスの悪ガキ三人組が目の前に現れ、へらへら笑いながら声をかけてきた。
「よう、逸樹。お前いいもん持ってんな」
リーダー格の一太がそう言うと、逸樹の首から虫かごをひったくった。
その時、一太の醜く太った体の肉が、ぷるぷると揺れる感触が空気を通して伝わってきて、不快感のあまり、逸樹の全身に鳥肌が立った。
すると一太は、逸樹を見下すようににんまりと笑うと、こう問い掛けてきた。
「お前さあ、蝉を食べて生活してるって噂あんだけど、本当か?」
あまりに突拍子のない質問に、逸樹は驚き、必死で首を横に振った。
「嘘つけ。今日は目の前で見せてもらうぞ」
一太は突然そう言って、逸樹の襟首をぐいと掴んだ。
そしてそのまま、無理やり藪の外へと引っ張っていった。
すると子分の二人も、逸樹が暴れないように、慌てて脇から彼の両腕を押さえつけた。
こうして神社の境内へと連れ出されると、隅っこに焚き木が積んであるのが見えた。
そして、その側には茶色い紙袋も用意されていた。
と、一太はにやつきながら紙袋を手に取り、次に虫かごの中に右手を突っ込むと、クマゼミを一匹ずつ掴み出して、紙袋の中へ放り込んでいった。
その間、子分の二人は焚き木にマッチで火をつけ、ふうふうと息を吹きかけながら、炎を煽った。
と同時に、ぷうんと異臭が鼻についた。
どうやら灯油が撒かれていたようだった。
すると、炎の勢いはすぐ様増していき、気が付いた時には、焚き木は激しく燃え盛っていた。
逸樹がその炎に目を奪われていた、その時。
突然、一太が不意をついて、逸樹の顔を右手で殴りつけた。
と、逸樹は衝撃のあまり、一瞬意識が飛んでふらついた。
そんな逸樹を、子分二人が、すかさずうつ伏せに押し倒した。
そして背中に乗っかると、ぐいと地面に押さえつけた。
「では、料理の始まり始まり」
それから一太は、笑いながらそう言うと、クマゼミを閉じ込めた紙袋を、燃え盛る焚き火の中にそっと置いた。
すると熱さで、セミがばたばたと、袋の中で暴れ始めた。
「や、やめろっ」
逸樹は咄嗟に叫んだ。
しかしどうしようもできなかった。
ジ、ジジジッ…
紙袋の中で、クマゼミ達が断末魔の悲鳴を上げた。
「そうだ。あれはあの時の俺……」
あの嫌な出来事を思い返しているうちに、逸樹はそのことに気づいた。
そして矢も盾もたまらず、さっき見た少年時代の自分を追って、鳥居の方へと駆けだしていた。
(つづく)

