土神(1)
長い坂道を必死で上り切ると、逸樹はようやく鴨井神社の参道にたどり着いた。
暑さのせいで頭がぼやけてきたせいか、逸樹には、遠くに見える鳥居が、陽炎のように揺らいで見えた。
逸樹は、慌てて額の汗を拭うと気を引き締めた。
そして、参道の片隅に自転車を停めると、左右に広がる藪の中を、用心深く見回した。
だが周囲はひっそりと静まり返っていて、人の気配などみじんも感じられなかった。
と、逸樹の口から、思わず溜息が洩れた。
またスミ子ばあさんの思い違いに決まっている―
心の中でそう呟くと、逸樹はふと立ち止まり、笑みをこぼしていた。
だが、通報を受けた以上は、きちんと捜査しておかねばならない。
それが俺の職責なのだ―
逸樹は、心の中で自分にそう言い聞かせると、再び前へと歩きだし、そのまま藪の中へと踏み込んでいった。
それにしても、スミ子ばあさんには困ったものだった。
つい一週間ほど前は、財布を落としたから探してくれと、交番に泣きついてきたので、仕方なく町の中心部を流れる天満川沿いを、くまなく捜索した。
ふと気が付くと、いつの間にか川を縦断していたものの、結局財布は見つからなかった。ところが翌日になってばあさんは、夏休みで遊びにきていた孫が、密かに盗み出していたことが分かったと言って、交番に謝りにきたのだ。
それだけならまだしも、それ以前も、隣家の生活音がうるさいとか、家の前の違法駐車を取り締まってくれだとか、事あるごとに逸樹に相談しに訪れていた。
そして今朝―
またしても交番に飛び込んできたかと思うと、鴨井神社を孫と散歩していたら、藪の中を不審な男がうろついていて、何やら怪しい動きをしているから調べてくれと、騒ぎ立てたのだ。
ばあさんは言った。
その男はスキンヘッドで、手に大きなシャベルをぶらさげていたことから、藪の中に死体か何か、やばい物を埋めに来ていたに違いないと。
確かにばあさんの言うことが本当なら、尋常なことではなかった。
事件の可能性は、十分あった。
だから取り越し苦労になる可能性が大きいとしても、逸樹には、ばあさんの申し出を軽視することができなかったのだ。
しかし目の前に広がる藪の中は、いつも通り、平穏そのものの様子だった。
逸樹はつい苦笑してしまったが、慌てて気を引き締めると、そのままゆっくりと歩を進めた。
それにしても、その日は真夏日だというのに、曇り空のせいか、藪の中は妙にひんやりとしていた。
とは言うものの、なぜか額からは、とめどなく冷んやりとした汗が滴り落ちてきた。
この不気味な感覚につい戸惑い、逸樹はふと一旦足を止めると、額の汗を拭った。
そして、おもむろに天を仰いだ。
おかしいな。
そう言えば今日は蝉の鳴き声が全然聞こえない。
そう思った時だった。
突然、後頭部にゴンと、重たい衝撃が走った。
と、痺れるような痛みが一気に全身を駆け抜け、感覚がすっと失せると、逸樹は崩れるように倒れ込んだ。
やられた―
逸樹は心の中で呟いていた。
そして咄嗟に、頭の中に浮かんだのは、ばあさんが言っていたスコップだった。
それだ。
きっと、それで殴られたのだ。
ゆっくりと遠のいていく意識下で、逸樹はぼんやりとそう思った。
スミ子ばあさん。
疑って悪かった。
最後に心の中でそう呟くと、逸樹の意識はゆっくりと暗闇の世界へ吸い込まれていき、やがて消滅した。
(つづく)

