運び屋の女(最終回)
背中に、射抜かれたような刺激痛を感じ、睦彦は一瞬その場に固まった。
そしてゆっくりと息を吸い込み、気を落ち着かせると、恐る恐る後を振り返った。
するとそこには、マルチーズを両腕で抱いた、良子が立っていた。
「り、良子?」
突然のことで、どう反応してよいのか戸惑い、睦彦は呆然と立ち尽くしていた。
すると、キャンと突然甲高い泣き声を発し、マルチーズがするすると良子の腕をすり抜け、尻尾を振りながら睦彦に飛びかかってきた。
二人はあっけに取られながら、マルチーズの行動を見守っていた。
すると、よく見ると、マルチーズは睦彦にではなく、手にしていたトートバッグに飛びつこうとしていた。
睦彦は訳が分からないまま、バッグをそっと地面に置いた。
するとマルチーズは一目散にバッグの中に潜り込んだかと思うと、くんくんと鼻を鳴らしながら、ひょっこりと中から顔をのぞかせた。
「あの娘だったのね」
良子が放心状態のまま、ぽつりとつぶやいた。
「あの娘って? 」
「穂咲っていう娘よ。この前ここで事故に遭ったんでしょう? 新聞で読んだの。あの娘がコウを見つけてくれたのね」
「何? どういう事だ? 何があったんだ?」
睦彦は混乱して、声高に良子を問い詰めた。
「あの娘、事故に遭う前の日に、私に電話をくれたの。雨の日にずぶぬれになりながら、道を歩いていたコウを見つけたから、暫く家で預かっていたって。それで偶然、この貼り紙を見つけて持ち主が分かったから、明日お宅へ届けにいきますって」
「じゃあ、あの時バッグに入っていたのは―」
「それ、あの娘のバッグなんでしょう? きっとあの娘、いつもコウをそのバッグに入れて外を歩いていたのね。コウ、その中がすごく居心地がいいみたい。私、いつか部屋を掃除している時、コウを庭に繋いでおいたの。そしたら紐が解けて、どこかへ行ってしまったのよ。その後、あの娘がコウを拾ってくれて、家で世話をしてくれてたのね」
「コウはどうやって戻ったんだ? 」
「昨日の晩、ひょっこりと家に戻ってきていたの。泥だらけになってね」
「そうだったのか」
穂咲はトイレに行っている間、何かの拍子でバッグから飛び出し、道路へ出てしまったコウを追いかけたのだ。
そして車に跳ねられた―
穂咲は自分を裏切ってはいなかった。
その時、睦彦の胸に穂咲への愛おしさが、ぐっと込み上げてきた。
そして、やがてじんわりと目頭が熱くなり、いつしか熱いものが、睦彦の頬を伝っていた。
「り、良子。すまなかった。本当にすまなかった」
睦彦は、長い間胸の奥につかえていた言葉を、一気に吐き出した。
すると、突然キャンと泣き声を上げて、コウがバッグから飛び出し、桜の木の根元にまとわりついた。
見ると、一陣の風が通り過ぎ、桜の白い花びらが、蝶のように舞った。
睦彦はその中に、笑いながら自分に向かって無邪気に手を振る、穂咲の幻影を見たような気がした。
―了―

