BROKEN HEROS (4)
「ああ、すまないね。驚かせてしまって」
老人は明里の反応を見ると、慌ててネックレスを手から放した。
「い、今のは?」
明里は恐る恐る、今見た白い光について、尋ねようとした。
すると老人はうほんと咳払いをすると、「いいから、いいから」とお茶を濁し、続けて言った。
「まあ、堅苦しい挨拶は抜きにして、早く孫に会ってやって下さらんかね。孫も喜ぶでしょうから。さあさあ」
この老人の予想外の優しさ。
それにネックレスの白い光。
不思議なことだらけで、明里は逆に不安にかられた。
しかしこのまま、引き返すわけにもいかなかった。
まあ、くじに当たって得をしたと思うことにしよう。
明里はそう自分に言い聞かせると、この訳の分からない状況に身を委ねることにしたのだった。
と、老人は踵を返し「さあさあ」と言いながら明里を奥の病室まで案内すると、先に部屋の中へと入っていった。
明里もその後に続き中へと入った。
すると消毒薬の匂いがつんと鼻をつき、明里は思わず顔をしかめた。
それは明里の苦手な匂いだった。
しかし明里は我慢して、慌てて笑みを取り繕った。
ところが、一番奥のベッドに横たわっている信二の姿を見ると、悲壮感のあまり、再び笑みは消え去り、顔がひきつってしまった。
部屋にはベッドが三つ並んでいたが、二つは空きのようだった。
明里は老人の後に続き、恐る恐るその二つのベッドの前を横切ると、信二の側へと近づいていった。
信二は頭に包帯を巻かれ、口に酸素吸入器が装着された姿で、窓際にあるベッドに寝かされていた。
どうやら、まだ意識は回復していないようだった。
と、静寂に包まれた部屋の中に、パンクしたタイヤから空気が少しずつ抜けていく時に似た、シャーシャーという信二の呼吸音が、虚しく響き渡っていた。
その時、明里は自分がとんでもないことをしでかしてしまったことを初めて実感し、ショックで体から一気に力が抜けてしまった。
そして思わず、隣の空きベッドに座り込んでしまった。
もちろん、自分が直接手を下した訳ではない。
信二が勇んでやった結果がこれだ。
だが好き放題な生き方をして、火種をまいたのは自分だ。
それは紛れもない事実だった。
今まで人生を楽観視して生きてきた。
そして全てが思い通りに行った。
もちろん、これからだってうまく行く筈だった。
だがその舞台裏では、多くの人間の心を踏みにじり、傷つけていた。
それが遺恨を生み、最終的には自分に跳ね返ってきたのだ。
人生を舐め過ぎていた。
明里は頭を抱え込むと、自分の今までの生き方について猛省していた。
とにかくこれは、今まで調子に乗り過ぎて生きてきた明里に対する、神様の戒めなのだ。厳格に受け止めねばならない。
この信二という男。
確かにいけすかない奴だったが、こうなった以上、彼には自分に出来得る限りのことをしなければならない。
そうすることで、今までの誤った人生を精算するのだ。
明里はそう決意した。
まずは慰謝料だ。
今、貯金はいくらあったか?
明里は慌てて顔を上げると、天井を見つめながら、今預金口座から引き出しても生活に支障のない金額はいくらか、頭の中で計算し始めた。
すると、そんな明里を慰めるように、老人が穏やかな口調で言った。
「まあ、明里さん、そんなに悲しい顔をなさらんでくれ。信二のことなら心配はいりません。あんたが来て元気づけてくれたから、きっとすぐにでも目覚めるでしょう。さあ、そんな顔をせず、信二にさっきのあの笑顔を見せてやって下さい」
「あっ、は、はい」
その言葉に促されて、明里はそっと立ち上がると、眠っている信二の顔を見つめ、微笑みかけようとした。
しかしどうしても、あのいつもの偽りの笑みを浮かべることができなかった。
ただただ、神妙な顔付きで、彼を見つめることしかできない自分。
明里はそんな自分が、惨めでならなかった。
そんな自分から逃れるように、明里は老人を振り返り、思い切って言った。
「私、出来得る限りの償いをさせて頂くつもりです。あのう、信二さん、保険には加入されていたんですか? 保険に関するアドバイスなら私がさせて頂きます。あっ、申し遅れましたが、私、保険会社に勤めてまして」
「いえいえ、とんでもない。私はあんたから施しを受けようだなんて、これっぽっちも考えてませんよ。信二だってそんなこと、望んじゃいないはずだ。それよりもお願いです。信二がよくなるまで、時々こうして、見舞いに来てやってくれませんか? それが信二にとって、何よりの特効薬です。私が望むことはただそれだけです」
「は、はあ。でも」
明里は戸惑った。優しい言葉を掛けてくれるのは嬉しい。
しかしあまりにも優し過ぎる。
明里は今まで、多くの狡猾な人間達と接してきた。
その度に、その人間の腹の内を探ってしまう癖が抜けきれないでいた。
だからこの老人の好意も、どうしても素直に受け入れられそうになかった。
もしかして、親子そろってストーカーなのかもしれない。
ふと明里の胸の内に、そんな疑念が芽生え始めてしまった。
(つづく)

