白い炎-さよなら、かかし先生-(55) | 「HEROINE」著者遥伸也のブログ ~ファンタジーな日々~

白い炎-さよなら、かかし先生-(55)


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15.


「次は神保下、神保下です。お降りの方はお知らせ下さい……」


無機質な女性のアナウンスが、車内に響き渡ると、直義ははっと目覚めた。

慌てて周囲を見回すと、窓の外には田園地帯が広がっていた。

それは、かつて見た光景とは様変わりしてはいたが、どことなく記憶の奥をくすぐるような、懐かしい雰囲気を漂わせていた。

反射的に降車ボタンを押すと、直義は脇に置いていたボストンバッグを手に取り、そっと立ち上がった。

見回すと、いつしか車内は直義一人きりだった。

と、バスはゆっくりと国道の左側に車体を寄せ、停留所に停まった。

それを見届けると、直義はおもむろに前方の降車口へと歩いていき、小銭入れから運賃を取り出して、料金箱へ入れた。

そしてバスから降り、停留所の案内板の側に立つと、ぼんやりと周囲を見回した。

国道はあの頃に比べると、道幅はかなり広がり、交通量も激しくなっていた。

しかし、この場所に立ち寄る者は誰一人としていなかった。

直義は汗ばんだ額をハンカチで拭いながら、ゆっくりと向き変えると、かつて村のあった方角へと歩き始めた。

ここへ戻って来るのは、十年ぶりのことだった。

主のいない家を管理してくれている重盛夫婦から、家の裏山にある墓地が、台風の影響で土砂に埋もれてしまったと報せを受け、慌てて訪れて以来のことである。

自分の先祖の墓だけだったら、別段急ぐこともなかった。

だがそこには、香も眠っていた。

両親のたっての希望で、彼は家の裏山の墓地に葬られたのだ。

だから、そのまま放っておくわけにはいかなかったのだ。

そしてそんな出来事の後、ほどなくして村は神保町に吸収され、あえなく消滅した。

仁美小学校はすでに廃校となり、マスカット農園もあの当時に比べるとかなり減り、今や十戸ほどの農家が、細々と営んでいる程度だった。


と進んでいるうちに、やがて左前方に、実家へと続くあの坂道が見えてきた。

直義は一旦立ち止まると、大きく息を吸い込み、呼吸を整えた―


あの事件の後、日比野先生は人知れず退院して、姿を消した。

聞いた話では、弾丸は腹をかすめただけで、生命に危険はなかった。

だが左足を直撃していたため、先生は一生足が不自由な体になってしまったという。

そして直義は結局、一度も先生を見舞うことができなかった。

香が突然死んだという事実よりも、純粋で美しいと信じていたもの―

それが全くの偽りであったと悟らされた衝撃があまりに大きく、あの頃の自分には受け止めきれなかった。


先生に裏切られた―

そのことに対する憎しみと、いまだ拭いきれぬ先生への憧れ―

そしてまざまざと見せつけられた、大人の社会に対する失望と恐怖―

とは言え、そんな世界にもまだ希望があると信じたいと願う心―


そんな様々な想いや感情が交錯し、ずっともがき苦しみ続けていた直義には、先生に会いにいく勇気など到底湧かなかった。


忘れたい。

でも会いたい。


そんな葛藤の狭間で、心はずっと揺れ動き続けた。

そしてどうにか、自分の中で踏ん切りをつけられた時―

病院に、すでに先生の姿はなかった。

その後直義は当初の計画通り、東京の私立中学を受験したがあえなく失敗し、広島にある全寮制の私立中学へ進学することになった。

悲しい思い出の残る、この村には留まりたくなかったからだ。

作造は事件の後、うつ病にかかり、ずっと床に臥せっていた。

そして看病に疲れたスマは、やがて姿をくらました。

作造が心不全で急逝したのは、そのすぐ後のことだった。

こうして直義は、中学を卒業した後、東京に住む叔母夫婦に面倒を見てもらうこととなった。

幸いなことに、作造はかなりの財産を残してくれていたので、叔母夫婦もどうにか、直義を一人前になるまで、養育することができたのであった―


直義は再び歩き始めると、あの坂道をめざした。

そして汗だくになりながらたどり着くと、また立ち止り、周囲の様子をぼんやりと眺めた。

ここの風景も、あの頃とは様変わりしていた。

かつて先生の家があった場所には、今では使われていない、農耕機メーカーの大きな工場が横たわっていた。

直義は工場を横目に見ながら、再び高台をめざして歩き始めた。

そして暫く畦道を歩き続けると、ようやく前方に実家が見えてきた。

すると突然、自分の惨めな現状と荒廃した家のイメージが頭の中で重なって、直義は足を止めた。


しかしここまで来て、逃げるわけにはいかない。


直義はそう自分に言い聞かせると、両足に力を込め、再び家へと近づいていった。

そして門が間近に迫った時、ふと異変に気づいた。

門が開いていたのだ。

誰かいるのだろうか?

緊張のあまり、直義の心臓の鼓動が、急激に高まっていった。


(つづく)


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