白い炎-さよなら、かかし先生-(43)
「俺の父さんは、笠井の身代わりにされたんだ。俺は最近になってやっと、事務所でこっそり子分たちが話していたのを、立ち聞きして知ったんだ。田所組っていう組の組長を撃ち殺したのはあいつだったんだ。それであいつの部下だった父さんは、あいつの身代わりで刑務所に入れさせられたんだ」
「そうじゃたんか。ほんならその時、銃撃の巻き添えで死んだんは、もしかして?」
「そうさ。先生の婚約者だ。あれは今でも忘れない。先生の結婚式の前日―八月一日のことだった。先生の婚約者は、たまたま現場を通りがかっただけだった。それで流れ弾に当たって死んだんだ。他に何も関係ない人が、二人も死んだ。あいつは先生から、明るい笑顔を奪った。そして先生の幸せも、俺の家族も、何もかもぶち壊しやがったんだ」
その時直義の脳裏を、いつか婚約者の写真を見つめていた時の、先生の悲しげな表情がよぎった。
と同時に、直義はようやく理解した。
どうして先生が、時折そんな表情を見せるのかを―
「俺は先生のことが好きだった。どんなに辛いことがあっても、先生は太陽みたいに優しい光と温もりで俺を包んでくれたから。なのに俺の父さんが、先生の婚約者を殺してしまったって聞かされた時、俺は死のうとまで思った。大好きな先生に、一生恨まれながら生きていくよりは、死んだ方がずっとましだと思ったから。だが結局俺には、怖くて死ぬことなんかできなかった。所詮はただの、いくじなしさ。それで俺は、もう先生のことは忘れてしまおうと決心した。そのためには開き直って、自分も悪になりきるしかなかったんだ。だが俺は間違っていた。先生は俺を恨むどころか、そんな道を踏み外した俺のことを、元通りにしようと一所懸命になってくれたんだ。俺の父さんのせいで、不幸になってしまったにもかかわらずだ。そしてやがて、俺と母さんは、父さんが出所するまでの間、笠井の奴に引き取られることが決まり、東京を離れて、ここで暮らすことになった。まあ、笠井の奴も、山根組の組長の命令で、渋々俺たちを引き取ることにしたらしいけどな。ところが、先生はそんな俺を追いかけて、わざわざこんな所にまでやって来てくれたんだ。俺を完全に立ち直らせようとしてな。俺はそんな先生の熱意に打たれた。そして気がついたんだ。今度は俺が、先生を守らなくちゃいけないってな。くそっ。なんとか先生に、笠井が真犯人だってことを分かってもらわなくちゃ。そのために俺は、動かぬ証拠を掴まなくちゃならない。あいつが真犯人だっていう証拠をな。そして先生を笠井の魔の手から助け出すんだ」
香はいつしか、うっすらと目に涙を浮かべていた。
そんな彼に、直義は慰めるような優しい口調で言った。
「香、心配せんでええよ。先生はもう、とうに知っとるみたいじゃった。お前の父さんが犯人じゃねえと」
と、それを聞いたとたん、なぜか香の顔が急に青ざめた。
「何だって? それは本当か?」
と、その時―
外で突然、大きな車のエンジン音が響き渡った。
「やばい、あいつが帰ってきやがった。直義、すまん。話の続きはまた今度だ。今日はもう帰るんだ。あいつに見つかったらうるさいからな。あいつ、先に事務所に寄ると思うから、今のうちに」
「ああ」
直義は香に促されるままに、すぐさま部屋を出ると、そのまま階段をさっと駆け下りた。
それから、慌てて玄関から外へと飛び出すと、駐車場の脇に停めてあった自転車にそっと跨った。
そして両足に渾身の力を込め、ペダルを漕ぎ始めると、そのまま家へ向かって懸命に走り続けた。
するとやがて頭の中で、香がさっき言った言葉が、何度もこだまし始めた。
先生の婚約者を殺したのは、笠井省吾だ―
その時、直義はふと思った。
先生がそのことを知っているとしたら、なぜあんなに笠井と親しくするのだろうか?
そう。
理由は一つしかない。
きっと香と同じように、笠井が真犯人だという証拠を見つけようとしているのだ。
婚約者の無念を晴らすために―
だからあいつに近づいたのだ。
先生は、決して汚れてなどいない。
決して。
直義は心の中で、何度も自分にそう言い聞かせ、納得させた。
そして決意した。
明日、クラスの皆に事情を説明して、先生を辞めさせないよう、署名を集めるのだ。
その時の直義にできることは、もうそれしかなかったのだ。
(つづく)

