白い炎-さよなら、かかし先生-(41)
そして外へと飛び出すと、慌てて自転車に跨り、そのまま勢いでペダルを漕ぎ始めていた。
作造の言ったことなど、絶対に嘘だ。
あるいは、根も葉もない噂を信じたにすぎないのだ。
そうだ。
そうに決まっている。
何度も心の中でそう叫び続けながら、直義は懸命にペダルを漕ぎ続けた。
そして薄闇に包まれた、いつもの坂道をすーっと下っていくと、直義は何やら、きな臭い予感が胸の中に広がっていくのを感じた。
すると―
残念ながら、その予感は的中してしまった。
目の前に唐突に現れた、その信じられない光景に、直義の体は一気に硬直した。
いかん。
このまま突き進んでは、自分が惨めさに苛まれ、二度と立ち上がれなくなる―
咄嗟にそう思った直義は、慌てて右腕に渾身の力を込めると、どうにかブレーキをかけた。
それから慌てて方向変換すると、右脇に見えていた納屋の陰にそのまま突っ込み、自転車を横倒しにして、さっと芝生の上に降りた。
そして四つん這いになって身をかがめると、そっと納屋の陰から、先生の家の様子を再確認した。
間違いなかった。
先生の家の前には、見覚えのある白いクラウンが停車していたのだ。
そう。
それはいつか、笠井組の事務所で目撃した、笠井の愛車だった。
だが直義は、まだその時点では、その光景を、現実のものだとは信じていなかった。
これは悪夢だ。
はたまた、何かの間違いに決まっている。
そう信じていた。
しかし次の瞬間容赦なく、とんでもない光景が、目の前に飛び込んできてしまった。
すると一転、直義は奈落の底へと、一気に突き落とされた気分に苛まれた。
何と運転席から、クリーム色のスーツを着た、笠井省吾が降り立ったのだ。
そして続いて助手席から降り立ったのは―
紛れもなく、日比野先生その人だったのだ。
しかも先生は、にこにこしながら、笠井に手を振った。
その表情は、とても幸せそうだった。
そして笠井もにたにたしながらそれに応えて手を振ると、再び運転席に乗り込み、ゆっくりと車を発進させた。
直義は慌てて、先生の顔に見入った。
すると先生は、その遠ざかっていく車の後部座席を、名残惜しそうにじっと見つめていた。
そして車が完全に視界から消えると、微笑みながら、そっと家の中へと入っていった。
そんな、そんな馬鹿な―
直義は心の中で何度もそう叫びながら、ゆっくりと立ち上がった。
と同時に、現実が重たく、直義の全身にのしかかってきた。
そしてふと気がつくと、いつしか涙が頬を伝っていた。
やがて、その涙は唇の中にも流れ込み、しょっぱい味が口の中に広がっていった。
それが、直義が生まれて初めて知った、失恋の味だった。
それから直義は、その場に立ち尽くしたまま、いつまでも泣き続けた。
純粋で、美しいと信じていたものが、目の前で無残にも砕け散ったのだ。
悔しいと言うよりは、ただただ虚しかった。
もう何を信じたらいいのか、直義には分からなかった。
そして―
ふと気がつくと、周囲を漆黒の闇が覆っていた。
いつまでもここにはいられない。
いればもっともっと深い闇の中へと吸い込まれ、もう二度と明るみに戻れなくなる―
そう感じた直義は、倒れていた自転車をゆっくりと起こすと、おもむろにサドルに跨った。
そして再びペダルを漕ぎだしたが、家へと方向変換する気力がなく、ただ風に身を任せるがままに、そのまま坂道を下っていった。
どこへ向かっているのか?
自分でも分からなかった。
ただただ、無我夢中でペダルを漕ぎ続けることしかできなかった。
そしていつしか、国道の上を、笠井組の事務所めがけて走っている自分に、気がついたのだった。
(つづく)

