白い炎-さよなら、かかし先生-(17)
とたんに直義の顔から血の気が引いた。
やくざのスカウトどころではない。
奴は、やくざの跡取りだったのだ。
直義は全身を震わせながら「どうもお邪魔しました」と、どうにか声を発すると、慌てて外へ逃げ出した。
一刻も早く、その場を立ち去りたかった。
だが、時すでに遅しだった。
すぐ目の前に、白いクラウンが迫ってくると、直義の直前で停止した。
しまった。もう少し早く出ていけばよかった。
直義は後悔した。
すると、クラウンのドアがぱたっと開き、予想していた通り、中から香がゆっくりと降り立った。
しかし、彼の様子は予想とは違っていた。
香は、悲しそうに俯いていたのだ。
その時、運転席の男が、香に向かって怒鳴り散らした。
「おい、こりゃ。待てや香」
しかし香は、男の命令を無視し、すぐさま豪邸の門めがけて走りだそうとした。
と、香は目の前に佇む直義の存在に気づき、慌てて立ち止った。
そして寂しげな眼差しで、直義の顔をしげしげと見つめた。
まるで救いを求めているかのように―
そしてその時の香は、まるで別人のように、弱々しく見えた。
「は、萩原君……」
直義は思わず声をかけていた。
しかし香は呼びかけを無視すると、再び豪邸めがけて走りだした。
「くそったれがっ」
するとその時、再び運転席から、男が怒鳴り散らした。
そして男は舌打ちすると、運転席から外へと降り立ち、いまいましそうに豪邸を睨みつけた。
男は頭をスポーツ刈りにし、がっちりとした体格をしていた。
そして赤いポロシャツに白いスラックスという、ラフな出で立ちだった。
その時、事務所から若いチンピラが二人、慌てて外へ飛び出してくると、中腰になり「組長、お帰りなさい」と言って頭を下げた。
「く、組長……」
それを聞くと直義は、ますますびびって体が硬直し、その場から一歩も動けなくなってしまった。
「まったく、香の野郎、いけすかねえガキだ。市内にあったアンデルセンって店で、ケーキを買ってきてやったのによ。ぐしゃぐしゃに踏みつぶしやがった。何が気に入らんのかは知らんが、一体誰のおかげでおまんまが食うていけると思うとんのや。おい立花、車ん中、掃除しとけや」
組長が吐き捨てるようにそう言うと「へ、へいっ」と、三下が慌てて返事をした。
組長は「ふん」とせせら笑うと、直義には目もくれず、そそくさと事務所へ向かって歩いていった。
直義はその圧倒的な凄味に畏怖すると共に、憧れの念も抱いた。
その時思った。
人間は誰しも、心の奥底に悪への憧れを抱いているのかもしれないと。
そしてそれが一旦覚醒すると、その虜になってしまい、次第に悪の深みへとはまっていく―
それが嫌で、人は悪への憧憬を忘れ去ろうとしているのだ。
だが香はきっと、それを思わず覚醒させてしまうほどの、悪の魅力を持った奴なのだ。
だから皆、その魅力に取りつかれ、次々と奴の子分になっていくのかもしれない。
その時直義は、遠ざかっていく笠井省吾の後姿を見つめながら、ふと思った。
親子にしては、香と笠井の関係は、どうもぎくしゃくしていた。
しかも二人の名字が違うのも不可解だった
あの二人の間には、きっと何かがあるに違いない。
そう確信した時だった。
ふと気づくと、組員たちは皆事務所に引き払い、周囲は静けさに包まれていた。
直義はまるで追い立てられるように、慌てて敷地から退散すると、電柱の側に停めていた自転車に跨り、家に向かってペダルを漕ぎ始めた。
(つづく)

