白い炎-さよなら、かかし先生-(4)
美和とは、前任地である松戸支店に勤務していた時、上司の紹介で知り合った。
「いいから会ってみろよ」と、上司がしつこく勧めるので、仕方なしに会うことにしたのだ。
美和は千葉平和銀行の子会社、千葉平和システムというIT企業に勤めていたので、直義の社内での風評を耳にはしていなかったのだろう。
きっと聞き合わせをすれば、向こうから断って来るに違いない。
そう気楽に構えていたのだが、先方が遠慮してくる気配は一向になく、とうとう約束の日が来てしまった。
こうして直義は、渋々見合いをすることとなったのだが、意に反して美和の方は、直義のことをたいそう気に入ってしまった。
人生に投げやりになっていた直義だったから、最初から女性になど興味はなかったのだが、どうしても断りの言葉が切り出せず、ついずるずると彼女の誘いに乗り、交際を進めてしまった。
そしてとうとう、ある日彼女の方から結婚して欲しいと切り出され、つい首を縦に振ってしまったのであった。
その後、何て馬鹿なことをしてしまったのだろうと、うじうじと悩む日々を送っていた直義に、突然出向の話が持ち上がったのだ。
その時直義は、結婚を断るいい口実ができたとほっとした。
美和は地味で、決して美人とは言い難かったが、温厚で思いやりがあって、家庭的な女だった。
直義には出来過ぎた女だった。
こんなおちこぼれサラリーマンが、彼女を幸せにすることなんて、到底無理に決まっている。
そう自分に言い聞かせると、直義は今日、思い切って美和をビルのベランダに呼び出し、一方的に別れ話を切り出してしまったのだった。
だが、自分がビルの管理会社に出向させられたことは、つい言いそびれてしまった。
彼女のオフィスは、このビルのすぐ近にあり、彼女はたまに用事でこのビルに出入りする機会があったので、いずれはばれることではあったが―
「俺は一体、どうすればいいのだ?」
直義はそう呟くと、つい自分が分からなくなり、頭を抱え込んでいた。
もうこんな所にはいたくない。
仕事などやる気もない。
もう生きる意味も、何も残ってはいないのだ。
頭の中で、そんな叫び声が響き渡り、渦のように何度も回転した。
すると、またしても電話が鳴った。
直義は溜息を吐くと、ゆっくりと受話器を取った。
「おい、何をやってるんだ? トイレの水が溢れだしたぞ。早く来てくれよ」
がなり声が耳を劈いた。
すると直義は、とうとうかっとなって、怒鳴りつけた。
「うるさいっ。自分で何とかしろ」
再び受話器を叩きつけるように置くと、直義はやけくそになって、部屋を飛び出していた。
そして非常階段を一気に一階まで駆け上がると、正面玄関から外へと逃走した。
すると、外は相変わらずどしゃ降りだった。
直義はすぶぬれになりながらも、懸命に走った。
だがしぶく雨に全身を委ねると、次第に雨粒が肌にぶつかってくる感触が、心地よく感じられてきた。
すると直義は、次第に走る速度を緩めていき、気がついた時には立ち止まって、じっくりと雨水に浸っていた。
ふと水煙で雲る遠くを見つめると、直義の脳裏に、遠い昔に見た光景がゆっくりと浮かび上がってきた。
そして、あの辛くせつない思い出も―
その時直義は、思わず心の中で呟いていた。
「そうだ。俺は逃げてちゃだめなんだ。もう一度あそこへ。あそこへ戻ろう。そうすれば、何か答えが見つかるかもしれない」
(つづく)

