白い炎-さよなら、かかし先生-(3)
「おおっ。そこだ、そこだ」
森川は自分の真上を指さすと、そっと立ち上がった。
直義は右腕に抱えていた脚立を下ろすと、手馴れた手つきで広げて固定し、それに上がった。
そして天井のガラスカバーを取り外し、中から切れた蛍光管を丁寧に抜き取った。
森川はそんな直義の姿を憐れむような目つきで見つめていた。
すると突然、急に何かを思い出したように、声高々に話しかけてきた。
「あっ、そうそう。永田、実は今度同期で飲み会をしようって話があるんだ。ほら、この間の人事異動で、袴田のやつが、柏支店の支店長に昇格しただろう? そのお祝いだ」
その声を聞き、事務室の行員たちが、一斉に森川の方を振り返った。
皆、意外だなという顔をしていた。
なぜビルの管理要員が、森川と同期なのか、皆すぐには理解ができず、戸惑いと驚きを隠せない様子だった。
直義は、あまりの羞恥に顔を紅潮させ、思わず俯いていた。
蛍光管を握る手が、小刻みに震えていた。
森川はその様子を見て、勝ち誇ったように、にやりとほくそ笑んだ。
その態度から、彼がわざと皆に聞こえるように言ったのは、明白だった。
惨めな思いをすることは覚悟していたが、まさかこんな目に遭わされるとは予想だにしなかった。
「来週の水曜日だ。夕方六時に曙ホテルなんだが、都合はどうだ?」
そんな直義の心中など意に介さず、なおも森川は続けた。
ここに赴任してきてから、今まで皆にばれないように、こそこそと仕事をしてきたが、これで直義が出向者で、しかも森川と同期であることが、ついに公の場で暴露されてしまった―
「あっ、俺、その日は都合が悪いんで」
直義は慌てて、かすれ声で断りを入れた。
すると森川は「ああ、そう。なら仕方ないね」と、最初からどうでもよかったように、あっさりと引き下がった。
その後直義は、いそいそと作業を終えると、逃げ帰るように事務室を出た。
そして地下二階へと戻り、監視センターに閉じこもると、椅子に腰掛け、目の前にある無機質な機械装置を見つめながら、じっと物思いに耽った。
さっき美和に告げたことは、本心ではなかった。
しかし今では、真剣に会社を辞めることを考えていた。
一所懸命に、社会や人々のために尽くそうと頑張ってきた自分が、なぜこんなにも蔑まれ、惨めな思いをさせられなくてはならないのか?
やっぱり、どこか間違っている―
そんなことを考えていると、またしてもデスクの上の内線電話が鳴り響いた。
はっと我に返ると、直義は大儀そうに電話を取った。
すると、か細い声が受話器から洩れてきた。
「もしもし、直義さん? 美和です」
「み、美和さん……」
直義は焦って、つい言葉を詰まらせてしまった。
「仕事中ごめんなさい。でもこのままじゃ、私どうしても諦めがつかないんです。私のどこがいけなかったのか、最後に遠慮なく言って欲しいんです。そうすれば、もう二度と会ったりしませんから」
直義は気を落ち着かせると、ゆっくりと事情を告げた。
「美和さん、そうじゃない。そうじゃないんだ。これは俺の問題なんだ。俺はこんな歳になるというのに、まだ社会で一人前にやっていく自信がないんだよ。要領が悪い人間なんだ。ダメ人間なんだ。だから君を守り、幸せにしてやれる甲斐性なんて、俺にはないんだよ。お願いだから、分かってくれ」
「直義さん、あなた私に、何か隠してるんじゃないの? だって変よ。ついこの間までは、あんなに結婚に前向きだったのに。それが突然、なぜ? 私、力になりたいの。あなたのこと、愛してるから」
「す、すまない」
直義は慌てて電話を切った。
ふと気がつくと、全身汗だらけで、動悸が激しくなっていた。
「愛してる……か」
そう呟くと、直義はなぜか急にばかばかしくなって、はははっと笑いだしていた。
愛―
滑稽だ。滑稽すぎる。
そんなものは幻想にすぎないんだ。
直義は笑いながら、懸命に心の中で、そう自分に言い聞かせていた。
すると再び、電話が鳴った。
「三階人事部の古賀だが、男子トイレの水が流れっぱなしで止まらないんだ。至急、直してくれ」
「はいはい、ただいま」
つい投げやりな返事をすると、直義は叩きつけるように、受話器を置いた。
(つづく)

