Noah(29)
空中に投げだされた舞子は、くるくると独楽のように猛スピードで回転しながら、ゆっくりと地上に落下していった。
舞子は両手を固く組むと、目を閉ざしたまま、安らかな気持ちで、死の訪れを待った。
いずれ、激しい衝撃と共に、自分の体は砕け散るだろう。
そのことは分かっていた。
しかし舞子には、恐れはなかった。
皆の幸せのために、やれることはやった。
精一杯、やった。
それで満足だった。
人のために、精一杯尽くすこと―
その志を、子供たちが引き継いでくれますように。
そして皆が幸せになれますように。
舞子は心の中で何度も何度も、そう祈り続けた。
やがて体の回転速度が、徐々に緩やかになっていき、空気の流れが鈍くなってきた。
もうそろそろだわ。
舞子は心の中でそう呟くと、覚悟を決めた。
ところが―
突然、舞子の体が空中で静止した。
もしかして、もう自分は死んだのか?
そう思い、恐る恐る瞳を開いてみた。
すると、信じられない光景が、突然目の前に広がった。
きらきらと光り輝く、白い雪のような細かい物体が、自分の体を取り囲むように漂っていたのだ。
そしてそれは、次第に次々と自分の背中に引き寄せられていった。
舞子はそっと、それを手に取ってみた。
よく見ると、それは雪ではなかった。
それはあの、白い羽だったのだ。
空中を漂っていた無数の白い羽が、舞子に引き寄せられ、集まってきていたのだ。
「そ、そんな。一体何が?」
その時ふと、舞子は自分の背中に違和感を覚えた。
なぜか、背中が以前より重たくなっていたのだ。
「まさか」
舞子は驚いてそう呟くと、右手で恐る恐る、自分の背中の辺りをまさぐった。
すると、大きな、硬い物体に手が触れた。
「こ、これは、翼……」
その時舞子の頭の中を、電光のように、熱い衝撃が駆け廻った。
いつの間にか、背中に巨大な翼が生えていたのだ。
「私は、私は……」
舞子は何度も何度もそう呟くと、戸惑いながらも、背中にぐっと力を込め、翼をそっと羽ばたかせた。
すると、舞子の体はふらつきながらも、ゆっくりと空中に浮き上がっていった。
その時、一陣の風が体をよぎった。
その風が、体からあらゆる重荷を運び去ってくれたような気がして、舞子は一気に開放感に包まれた。
すると、舞子の頭の中に、愛しい子供たちの姿が浮かび上がった。
「み、みんな」
そう呟くと舞子は、今度はためらうことなく、思い切り翼を羽ばたかせ、宙を悠々と舞った。
そして果てしなく続く青空を、前へと向かって、まっすぐに飛んでいった―
計器に異常をきたした、サンライズ航空311便は、近距離にある南国空港に、緊急着陸しようとしていた。
子供たちは、舞子と過ごした楽しい日々を思い出しながら、いつまでも泣きじゃくっていた。
皆、舞子との思い出がたくさん詰まった、あの施設へ戻るのが、たまらなく辛かった。
真理子は泣きはらして、真っ赤になった瞳で、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
すると突然、信じられない光景を目の当たりにすると、急に有頂天になり、歓喜の声を上げた。
「み、みんな。見て、見て。舞ちゃんよ。舞ちゃんが、蝶々になってる」
ええっとどよめくと、皆も一斉に外を眺めた。
すると舞子が、白い翼を羽ばたかせ、悠々と空を舞っていた。
「そ、そんなばかなっ。あれは蝶なんかじゃない。天使だよ。舞ちゃんは天使だったんだ……」
琢己が興奮して叫んだ。
「舞ちゃーん」
皆一変して笑顔を取り戻すと、一所懸命舞子に手を振った。
舞子もそれに応え、満面の笑みを浮かべて、皆に手を振り続けた。
「皆、どうしたの?」
するとパーサーが、不思議そうな顔をして、子供たちに問い掛けてきた。
「あれ、あれ。見てっ」
真理子がはしゃいで外を指さすと、いつの間にか舞子の姿は消えていた。
「あれっ?」
皆、首を傾げた。
「そ、そんな。僕たちは幻を見ていたのかな?」
そう呟くと、琢己はもう一度、窓の外を隅々まできょろきょろと見まわしたが、そこには青空が、無限に広がっているだけだった。
やがて飛行機は無事に、南国空港へと着陸した。
そして琢己は空港で、藤堂の声が録音されたCDを、警察官に手渡した。
こうして藤堂と暗殺結社黒神会の癒着が、白日のもとにさらされることとなった―
*イラスト:眞部ルミ
(つづく)