Noah(4) | 「HEROINE」著者遥伸也のブログ ~ファンタジーな日々~

Noah(4)


「HEROINE」著者遥伸也のブログ ~ファンタジーな日々~-ノア4

「菊川さん。神父さんは私の前科のことは?」


「もちろんご存知さ。でも神父さんは、あの天使の像を見て、君の心根というか、本質を見抜かれたに違いない。過ちは誰にでもあるさ。大切なのは、その人の魂の清らかさだよ。私だって、君の彫った天使の像を見て感じたよ。心の曲がった人間に、こんなに愛らしく、安らかな笑みを湛える天使が作れるはずはないとね。そして今私は、こうして君と会って、それが正しかったことを実感でき、少し感動している」


「そんな大げさな。私は決して、そんな人間ではありません」


そう言って舞子は照れ笑いを浮かべると、顔を真っ赤にして俯き、暫く黙りこんでしまった。

そして数分後、ふと窓から外を眺めると、いつしかビルの群れが建ち並ぶ大都会とは一変して、こじんまりとした民家が連なる、閑静な住宅地の風景が、目の前に広がっていた。

ふと住所表示板を垣間見ると、「相楽町」と書かれていた。

どうやら、目的地に到着したようだ。

舞子は、この町の風景に懐かしさを感じた。

以前、祖母と暮らしていた古都の実家を思い起こさせてくれるような、人間の暖かい生活の匂いが、ここには漂っていたからだ。

するとタクシーは、人通りの少ない商店街の近くを通り過ぎると、今度はくねくねと折れ曲がった、細い坂道を上り始めた。

そして二十分ほど上り続けると、ようやく丘の頂上にたどり着き、そこでゆっくりと停止した。

見ると、そこには古びた教会と、それに隣接して木造の平屋建ての施設が横たわっていた。

施設はかなり年季が入っていて、ワニスを使った黒い塗装があちこち剥げ落ちた外壁からは、白い地膚が覗いていた。

それに窓ガラスも、ひび割れを、ガムテープで補修している有様だった。

その光景はまるで、古めかしい映画で見た、貧乏長屋を連想させた。

菊川と舞子は、タクシーからそっと降りると、墨で「聖園養護院」と書かれた、大きな表札が掲げられた門をくぐった。

そして菊川が先に、古びた教会の扉をそっと開いて中へと入っていったので、舞子も恐る恐るその後に続いた。

すると中に入ったとたん、目の前にある大きな祭壇に、両手を組んで、じっと十字架に掛けられたイエスキリストの像を見つめる、神父の姿が目に入った。

菊川は神父にそっと近づくと、声を掛けた。


「神父さん、こんにちは。お世話になります。連れてきましたよ。深沢舞子さんを」


すると神父は、はっと後を振り返ると、二人に優しく微笑みかけ、「ようこそ」と挨拶をした。

そしてゆったりとした足取りで舞子に近寄ると、まるで何十年来の友との再会を果たしたかのように、喜びで手を震わせながら、舞子に握手を求めてきた。

舞子は戸惑いながらも、そっとそれに応じた。


「あなたが深沢舞子さんですか? お会いできて光栄です。神父の倉橋輝彦と申します。今日はぜひとも引き受けて頂きたい仕事があり、こうしてお呼び立てした次第なのです。実は見ての通り、この養護施設は、築後五十年という年月を迎え、床があちこち抜け落ち、雨漏れも激しく、いつ崩壊してもおかしくない有様となってしまいました。そこで市が音頭を取って下さり、多くの民間企業から寄付を募って頂いて、どうにか隣の桜橋町に、新しい施設を新築するめどが立ったのです。来月から着工予定なんですが、その新しい教会に、ぜひともあなたの作品を置かせて頂きたいのです」


「ええ。あらかたのことは、菊川さんからお聞きしています。でも、ご申し出は嬉しいのですが、私みたいな女に、そんな大役は荷が重すぎます。第一、私なんかでは、神聖な場所を汚してしまうのではないかと、気が引けてしまって」


舞子はそう呟くと、辛そうに俯いた。

だがそれを見た神父は、そっと舞子の肩を叩くと、優しく語りかけた。


「あなたが犯した罪のことは知っています。でもあなたは立派に務め、それを償った。生まれ変わったのですよ。あなたが彫った天使の像を見た時、私は思いました。あの安らかで、優しい微笑みは、あなた自身の心を映し出しているのだと。人間は誰でも過ちを犯します。それは避けられないこと。でも神は、そんな我々皆に、平等に宝石を授けておられるのです。汚れた心さえ磨きあげれば、誰でも宝石のように、純粋で美しい心を持てるのです。今、あなたの心は光り輝いている。そして太陽のように、他の人たちにも、暖かい光を与えることができる。私はそう確信したのです。だからこそ、あなたに像を彫って頂き、それにあなたの心を宿して欲しいのです」


「そ、そんな、神父さん。失礼ですが、それはとんだ見込み違いです。私は、ただの不幸で卑屈な女。他人に光を与えるだなんて、そんな高尚な女ではありません。あの像だって、自分が救いを求めたかった一心で彫ったものです。他人のことなんて、考える余裕すらなかった」


舞子はそう言って苦笑したが、神父は何度も首を横に振りながら諭すように言った。


「それはきっと、あなたが、自分で気づいていないだけなのですよ。いずれ、分かる時が来るはずです。それにこれは、私だけの願いではないのですよ。この施設にいる児童、二十三名、全員からのお願いなのです」


「ここの、子供たちが?」


「そうです。ここでは、下は四歳から、上は十二歳まで、総勢二十三名の児童が、就寝を共にしています。皆、親に見捨てられた子供たちばかりです。中には、親から性的虐待を受けたり、一家心中の果てにただ一人生き残った子供までいます。皆、心の中に、そんな親たちへの憎しみを抱いていますが、その反面、親の暖かな肌の温もりにも飢えている。このジレンマには、恐らく想像を絶するほどの苦しみが伴うことでしょう。私は彼らの親代わりになろうと、懸命に努力しましたが、彼らの荒んだ心を、完全に癒してあげることはできませんでした。やはり皆、どうしても陰に篭ってしまう傾向があって、本当の家族のように、なかなか互いに心を打ち解けあうことはできませんでした。そんなある日のことです。デパートに行った時、偶然あなたの天使の像を見つけました。気に入って買って帰り、談話室のテーブルの上に飾りました。するとどうでしょう。学校や幼稚園から帰ってきた子供たち皆が、その像を珍しがって、談話室に集まってくるではないですか。皆が一様に、可愛い天使だね、そうだねって、口々に囁き合うのを見て、私はとても嬉しく思いました。その時の彼らの微笑みは、天使の像のごとく、安らかで幸せそうでした。それは私が今まで見てきた彼らの笑顔の中で、最高のものでした。その時私は思いました。天使の像の笑みというよりは、これを作った人の心の温もりが、彼らの心を動かしたのだと。それ以来、天使の像は、彼らのマスコットになってしまい、彼らは学校で辛いことがあってふさぎこんでいる時、いつもこの天使を眺めては、心に平穏を取り戻していました。そして、新しい教会が建つと決まった時、彼らが口を揃えて、この天使の像をもっとたくさん飾ろうよと言いだしたのです。これを作った人に、たくさん天使の像を彫ってもらって、教会中を埋め尽くそうよってね。ですから、舞子さん。私だけじゃない。施設の子供たちのためにも、ぜひ像を彫って頂きたい。どうかお願い致します。もちろん、それ相応の謝礼はお支払い致しますし、汚い所ですが、ここに住み込んで頂いて結構ですから……」

                               (つづく)

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