神の鳩(最終回)
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何かの間違いなのか?
幸子は狐につままれたような表情で、きょとんと突っ立っていた。
「どうしたの? 薄井さん。変よ」
「い、いえ。別に」
幸子は訳がわからなくなって、気が動転し、その場にしゃがみ込んでしまった。
一体、どうなっているというのだ?
確かにあのノートはタイムカプセルに詰めたはずだ。
もっとも、恐ろしくて、詰める前にちゃんと中身の確認まではしていないが―
「ああっ、見て、見て」
その時、悦子が声を上げ、一点を指さした。
その方向に、皆も一斉に注目する。
幸子もおもむろに、その先へ目を向けた。
すると瓦礫の山の上に、美しい一羽の白い鳩がとまっている。
まるで廃墟に花開いた、可憐な一輪の白百合のごとく、鳩は際立って見えた。
後光を放ちながら座す、仏のような神々しささえ感じた。
「ま、まさか。テンちゃん?」
幸子は思わず呟いていた。
そして引き寄せられるように、瓦礫の山へ向かって駆けていた。
信じられないことだが、あのテンちゃんが、時を超えて現代に舞い戻ってきた。
そんな気がしてならなかった。
案の定、幸子がほんの一寸先まで近寄っても、鳩は怯えることなく、じっとしたままだった。
「う、薄井さん」
突然、先生も幸子の後を追って駆けだした。
まるで何かに、焦ったような感じだった。
その様子を、皆が呆然と見守っている。
すると、鳩が突然、瓦礫の中をくちばしで突いて、何か布切れのような物を掘り起こした。
そして鳩は、それをくちばしで拾い上げると、ぽいぽいと、二回前方へ放った。
「ああっ」
それを見て、思わず幸子の背筋が凍った。
筋がついた、棒切れのような、二本の物体。
その先には、ぼろぼろになった水色の布切れがまとわりついていた。
それは紛れもなく、親指と人差し指の骨だった。
土色に薄く汚れていたが、その風化もせず、はっきりと整った形から、幸子にでも容易に判断できた。
そしてそれが、雪子の物であるということも―
そしてその布切れにも、見覚えがあった。
それは井上先生が、あの当時使っていたハンカチの布だ。
間違いない。
給食の時間、先生が洗面所で手洗いをする時に、いつも使っていた物だ。
だが、なぜ井上先生のハンカチがこんな所に?
はっと後を振り返ると、井上先生が、血相を変えて駆けよってくる。
その姿を見て、幸子は直感ですべてを悟った。
「先生、あなただったのね」
「くそっ」
先生は気がふれたように幸子に飛びかかると、「何でよ、何でよ」と泣き叫びだした。
幸子は先生を振り払うと、瓦礫の山へ突き飛ばした。
「なぜそっとしておいてくれないの? なぜ?」
先生は瓦礫に顔をうずめると、暴れるのを止め、わっと泣き伏した。
「先生、あなたはあの時、こっそりと私の連絡ノートを盗み読みしたのね。それで屋根裏に雪子がいることを知って、雪子を。でも、なぜ?」
「私だって。私だって、ずっと苦しんできたのよ。もういいじゃない。すんだことなのよ。なのに、なぜあなたは?」
「よくないわ。まだ終わってはいない。このままでは、雪子は浮かばれない。私も先生も。ずっと、永遠にね。だから話すのよ、先生。皆の前で」
「私は雪子ちゃんのことが好きだった。でも屋根裏で、梁から落ちて、仰向けになって苦しんでいたのを見つけた時、ふと思ったの。この子さえいなければ、私は幸せになれると。私はあの時、山之内家に嫁ぐことが決まっていた。でもあの雪子ちゃんは、私を毛嫌いしてなつこうとしなかった。雪子ちゃんを猫かわいがりしていた山之内は、そのことを重んじて、縁談を白紙に戻すと言いだした。でも私は諦めたくなかった。絶対に山之内と結婚して、幸福をつかむんだ。そう心に強く念じた時、気がついたら、ハンカチで雪子ちゃんの鼻と口をふさいで窒息させていた。気が動転した私は、慌てて天井裏から逃げ出した」
「何てことなの」
雪子はきっと、もがき苦しみながら、あのハンカチを強く握りしめていたのだろう。
怨念をこめて―
その様子を想像すると、幸子はいたたまれない気持ちになった。
「私は、雪子ちゃんが屋根裏にいることを、あなたにこのままずっと黙っていて欲しかった。その方が好都合だったから。それであの連絡ノートに書いていたことを、こっそり消しゴムで消したわ。綺麗さっぱりとね。でも今になって、あなたがそのことを暴露しようと決心したのに気づいた私は、あなたのことが恐ろしくなったのよ。薄井さん、ごめんなさい。どうか―どうか、私のことを許して」
先生の言ったことが事実だとしても、この事件は、法的には時効が成立している。
後は先生が一生、罪の重荷を背負い、悩み続けていくことでしか、雪子の霊が浮かばれることはない。
だが私はどうなのだろう?
私も先生と同罪なのか?
分からない。どうすれば。
幸子は自問自答すると、思わず白い鳩と向き合い、そして懇願した。
「雪子、私を許して。お願い」
だが鳩はきょとんとして首を斜めに傾けると、何事もなかったように、突然飛び立った。
ああ、雪子が神の国へ帰っていく―
幸子は、天高くはばたいていった鳩を見上げて、そう思った。
その空にどこまでも伸びる白い飛影を目で追っていると、幸子はようやく穏やかさを取り戻した。
(了)
なにとぞ、よろしくお願い致します。