愛情の裏側 (後編)
駅に着いた時、長時間きつい日差しにさらされていたせいか、私は頭がくらくらして、気が遠のきそうになりました。
しかしどうにか改札をくぐり抜けると、気がついた時には私はホームにいて、いつもの電車に乗り込む位置に、たたずんでいました。
ホームから見下ろすと、線路の上には不思議なことに、かげろうが揺らいでいました。
その時、私は薄らいでいく意識の中で、ぼんやりと思いました。
これから私は、ここに飛び込むのだなと。
すると、線路の上に立ちこめていたかげろうが、突然綺麗に消え去り、その後に一人の小柄な男性の姿が浮かび上がってきました。
私ははっとして、目を凝らし、その男性の顔に見入っていました。
なんと、それはおじいちゃんでした。
おじいちゃんがほほ笑みながら、立っていたのでした。
するとおじいちゃんは、私に向かって手招きをしました。
その時ホーム中に、駅員のアナウンスが響き渡ると、やがて轟音をとどろかせて、電車がホームへと近付いてきました。
「今そっちへ行くわ、おじいちゃん」
私はそうつぶやくと、固く眼を閉ざし、何のためらいもなく、ホームから線路へと飛び降りたのでした。
すると、ごつんと、私はやわらかい物体に頭をぶつけました。
その後、なぜ私がそんな行動を取ったのか分かりません。
ただ私は、無我夢中でその柔らかい物体を両腕で抱きかかえ、すぐさま向かい側のホームの隅っこへと、線路をまたいで走り抜けていました。
と同時に、電車がすさまじい金切り音をまき散らしながら、ホームへと滑りこんできました。気がつくと、私は反対側のホームの線路の脇で、一人の老婆をかばうようにして倒れていました。
やがて、周囲からざわめきが起こりました。
そしてホームから駅員が飛び降りてきて、「大丈夫ですか?大丈夫ですか?」と、必死の形相で私の肩を叩きながら、何度も問いかけました。
なんと私は、自分の意に反して、線路に誤って落ちた老婆を救っていたのでした。
私は恐る恐る、その老婆の顔を見ました。
と、私は驚きのあまり「あっ」と間の抜けた声を発していました。
なんと、目の前にはおじいちゃんの顔があったのです。
おじいちゃんはにたっと笑うと言いました。
「誰がおめえの言うことやこ、聞くもんけぇ」
最期の最期まで、絶対に人の言うことを聞いてくれない、おじいちゃんだったのでした。
それから一ヵ月ほど経って、私は久しぶりに実家へ帰りました。
病院へ通い、頑張ってリハビリに励んだおかげで、完全ではないにしても、どうにかましな体に戻ることができたので、思い切って両親に会うことにしたのでした。
その時、母親は家の前で「お帰り」と言って、私を温かく迎えてくれました。
私が、おじいちゃんの葬儀に参列しなかったことを詫びると、母親は言いました。
「あんたが頭に来る気持ち、私にはよく分かるわ。私なんかしょっちゅうだったからね。でもね。頑固で人の言うことを聞かないおじいちゃんだったけど、それは全てこの看板を守るためだったのよ。この伊東組のね。考えてもみなさいな。この不況の世の中で、建設会社がばたばたと倒産しているっていうのに、小さいながらも、我らが伊東組は、こうして安泰でいられるのよ。これもあのおじいちゃんが、この町で強固な営業基盤を築いてくれたおかげなの。だからね、今はこう思うの。全ては裏返しだったのよ。愛情の裏返しだったってね」
そう言って、母が見上げた家の軒先には、古ぼけた「伊東組」の看板が、温かい日差しを浴びて輝いていました。
それを見て私は決心しました。
この家で暮らそうと。
おじいちゃんがいた、この家で―
(了)