「妄想メモ」カテゴリの記事を書きます。

 

最近は、ジョン・レノンの『イマジン』のことをよく考えます。

 

私はこの曲をちゃんと聞いたのは英語の授業でした。たぶん中学で。

授業なのでかなり直訳でしたが、こんな感じの訳で。↓

 

君はぼくを夢追い人と呼ぶかもしれない
しかしぼくは一人じゃない
ぼくはいつの日か、君も私たちの仲間に加わってくれることを希望している
そして世界は一つになるだろう

 

ジョン・レノンという人はとても聡い方だったと、聞いた事があります。

あの歌の歌詞は、あながち、きれいごとなんかじゃなかったんだなあ・・・と、ここ1、2年思います。

 

「人間は愚かで、いつまでたっても戦争をやめられない」と、私たちは思わされてきたんだな・・・と。

 

世界は国や宗教を超えて一つになれる、平和に生きれる、それを想像してごらん、難しくないんだと。

『イマジン』の歌詞はそう伝えていますが、

 

そんなものは子供っぽい夢物語だと。

 

「カップペイジ」・イメージや夢の始まり

 

人間の心には「悪魔」がいて、だからそんなきれいごとは無理なんだと。

ずっと思わされてきたけれど、でもよく考えてみたらちょっとおかしな話です。

 

そりゃあ、この世から悪い人がいなくなることはないでしょう。

でも、大多数の人間の欲なんて、せいぜい「七つの大罪」とか言われるものくらいじゃないでしょうか??

 参照: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』七つの大罪

 

この世に犯罪がなくなることはありませんが、だからと言って、歴史上の悲惨な戦争や事件のような桁違いに極端なことを、人間が発案するでしょうか??

 

ここで言うのは、

どこかでいい人が生まれれば必ずどこかで悪い人が生まれるとか、

さぼる人を取り除いてもまた残りの中からさぼる人が出るとか(「働きアリの法則」というそうです)

そういう範囲の話ではなくて。

 

どうやらこの世には「人ならざる者」がいるのだな、と思います。

 

もしこの世に「悪魔」がいるとしたら、

それはきっと、自分からは何も生み出せない、他から奪うしかできない存在をそう呼ぶのだと思います。

 

タロットで言えば15番「悪魔」と

 

3番「女帝」の対比のように。

 

奪って奪って奪いつくしてもなお、永久に満ち足りない飢餓状態にある者と、

何にもないところからでも、自分の中からどんどん生み出せる者との違い。

それが「悪魔」と「人間」の差なのだと思います。

 

「悪魔」に脅されたり、誘惑されたり、契約したり、洗脳されたりして「魂を売る」ことはあっても、根本のところは人間と悪魔は違う。

 

だから、『イマジン』の歌っていることに近いことは、「人間」には実現可能なのではないかな?と、最近は思います。

ジョン・レノンは夢見がちな人なんかじゃなく、そういうことを知っていたからこの歌を作ったんでしょう。

 

「ペンタクルペイジ」・現実化の始まり

 

 

「カップペイジ」が「ペンタクルペイジ」になる日が来るのかどうか?

世界中のたぶん同じ思いの仲間たちと共に、同じ時代を見守ります。

 

私たちの上にはただ空があるだけ。