最近アマゾンで世界名作劇場が来ているのでつい、見返してしまいます。

何度見てもすばらしいの一言ですし、そうそうたるスタッフ陣を見ても、もうこんなアニメは出ないでしょう。

 

アニメ「赤毛のアン」のラスト近く、

46話のアラン夫人とアンのやり取りのところでは、いつも、「節制」のカードを思い出します。

14番・節制(ウエイト版)

 

おしゃべりだったアンも大人になり、奨学金を勝ち取り、大学への切符を手にします。

でも久しぶりに帰省してみて、マシュウとマリラの老いに気が付きます。

孤児だった自分を育ててくれた二人を手伝うべきではないか?このまま自分のためだけにカレッジへ行って勉強を続けていていいのか?

アンは心苦しくなり、アラン牧師夫人に打ち明けるのでした。

 

「じゃあ辛いまま、レドモンドカレッジへ行くしかないんじゃないかしら?

いえね、アン、人間は苦しいからといって、悩みを切り捨てるわけにはいかないのよ。それが人間の良心というものなの。」

「あなたがそういう悩みを抱えているのを、私はとてもうれしく思いますよ。
良い成績で大学へ入れたからといって、得意になっているだけでは、人間としてダメですものね。
人生というものは割り切れなくていいのよ、アン。いいえ、割り切れてしまってはならないの。」  

 

(世界名作劇場『赤毛のアン』第46章「マシュウの愛」より)

 

人生は割り切れなくていい、むしろ、割り切ってしまってはならないとアラン夫人は言うのです。

 

 

節制はマルセイユ版だとこんな絵です。↓

赤と青を混ぜて行って紫になっていく途中のカード。

ウエイト版では錬金術を表しており、異なる物質を混ぜて化学変化を起こし、変容していく様子が描かれています。

 

アンはこのシーンでまだ16歳、アラン夫人とは人生経験が違います。

若いときははっきりさせたいものだし、また、はっきりできるんです。

養う子供や介護しなければならない親もいないし、自分のことだけであればやりたいようにやればいい。

でも、背負うものが出てきたり、社会のみんなと協力しなければできないことだったりすれば、事情は変わってきます。

 

そういつもいつも、はっきりさせられなくなってくるんですね。

もやもやするし、思うように動けず、結論を出せない時間が続く・・・。

気持ちのいい体験ではありません。

 

14番・節制は、切り捨てられない。なぜなら、そこには気持ちが入るからです。

 

切り捨てられるのはこっち、ソードエース。これは頭のカードなので割り切ります。

 

でも、節制は心に関するカードなのです。

カップは水、人間の感情を表します。カップエース。

水が剣で切れないように、人の気持ちはそう簡単に切り捨てることはできません。

 

タロット占いで節制が出たときは、なかなか思うようにはいきません。

でも、そういうものを切らなくていい。持ったままでいい期間です。

 

「辛いままカレッジへ行くしかないんじゃないかしら?」と言いつつも、

そういうアンの優しさや良心を、アラン夫人は喜んでくれます。

つまりは、

それだけアンが大人になった、

ということなんですね。

 

ここから最終回までの数話の中で、アンは見事な変容を見せていきます。

最終回のアンは、私の中では、19太陽、20審判、21世界まで行ったと思っていますが、また機会があれば書きたいと思います。

 

そう考えると、スパっと切れなくなってからが大人の醍醐味と言えるのかもしれません。