(このコラムは1ヶ月以上前に書かれたものです)
一昨日ぐらいだろうか。
久しぶりに本屋にぶらっと寄ったのだが、そこでふと手にとった『NUMBER』から考えさせられる内容があった。ブログをご覧になっている皆様に問いかけてみようと思う。
気になった内容というのは日本代表DF、おそらく日本人として最高の結果を海外で残している一人である内田篤人へのインタビューからだ。
記者がよくありがちな、『日本と海外の差とは何なのか』という質問に対する内田の答えを見ていただきたい。
『そうですねぇ…例えばドリブルとか日本の選手がしてきても怖くない。海外の選手は何が違うのかというとそれは迫力。ファルファン(シャルケ04)とか向かってくるのに全く怖がらない』
なるほどと思ったし、ありがちな答えだなとも思った。私がここで触れたいのは次だ。
『あとシャルケのスタジアムは最高なんですよ。チャンスになるとチャントを歌っていても静かになるし、皆が立ち上がる。得点が決まらなくても頑張ろうとした選手にはスタジアム全体拍手が起きる。このような雰囲気でやれると誰だって頑張ろうと思いますよね』
あくまでニュアンスだ。このように内田が言ったという保障はない。詳しくは本屋で買ってチェックして貰いたいのだが、核心は付いていることは保障する。
Jリーグのサポーターの質については近年、各メディアで問われることが多々あり、私はその度に『日本は日本。海外は海外。そもそも観客の人数が違うから雰囲気は自然と海外の方が良くなるし比較されても困る。』と思っていた。
今回の内田も意識的、直接的にではないが日本のサポーターの質を問うものだ。
しかし、単純にこれまで受け流してきたコラムとは違う、日本のトップとして君臨する選手が語るこの言葉には私の心に突き刺さるものがあった。
今まで受け流してきたコメンテーター、コラムとは違う『何か』を私は紙から読み取ったのだと思う。
…なにか内田は、、半ば諦めているようにそう質問に答えていた。
Jについて直接批判しているわけでも何でもない。ただ単純に海外はこのような環境だ、と言っているに過ぎない。
ここまで読んでくださった方はこいつ何言ってんの状態かも(^^;)
各メディアで活躍が取り上げられチヤホヤされる内田篤人。それはトップアスリートとしての宿命とも言えるが、持ち上げるメディアに対して拒否反応を見せている。その結果として、代表引退騒動に繋がっているわけだ。
サッカー日本代表のメディアによる『アイドル化』はレベルの向上に繋がらない。このままではいつでたっても日本はサッカー発展途上国のまま、と内田は語らずして言っているのだと私は引退騒動について解釈している。
その内田が言った『このような雰囲気でやれると誰でも頑張ろうという気になれる』発言は重く捉えなければならないのではないだろうか。
つまり、それはJリーグのサポーターが作り出している雰囲気は選手にとって必ずしも最高の雰囲気ではない、ということを示している。サッカー先進国から見ればそれは『異常』ということ。
チャンスでもピンチでも関係なく一定の『チャント』を歌い続けることで我々は勝手に満足してしまっているだけなのではないだろうか。
またバックスタンドで見てる人もずーっと座っているだけで本当にフットボールを楽しめているのか?
我々が思う『雰囲気』と選手がサポーターに求める『雰囲気』というのは違うのではないだろうか。という考えに私は至った。
それもアントラーズというJの中でも強力なサポーターをバックにプレーしていた内田が発言したのならなおさらだ。
Jリーグが20周年を迎える上で、選手の質は上がってきているが、サポーターの質はどうなのだろうか。
実は20年前と変わっていないのは我々サポーターなのではないだろうか、と思うのだ。
それはここ数年の観客動員数の頭打ちにも関係していると思う。つまり、マンネリ化だ。スタジアムに行ったところで何か新しいことがあるわけでもない。
バックスタンドの方もスタジアムの雰囲気に参加する。このような体制を作るのも一つの手になるのではないだろう。
問いたい。選手にとっての最高の雰囲気とは?
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