やっぱり大学の合格発表かな。高校3年の夏休みを学園祭の出し物(海外の歌)を歌う準備をして全然勉強しなかったせいで、高校3年の12月の神奈川大学給費制受験(一般の部)で不合格になって、お尻に火が付きました。たぶん受かるだろうと先生には言われていたのに、自分は不合格で、しかも隣の同級生が合格して…。それからは地獄でした。
父親には叱責されて。ぼろくそ言われて。隣の同級生は喜んでいるし。もうどうにかなってしまいそうでした。
それからは心を入れ替えて毎日、8時間くらい勉強しました。12月ですから大学受験まであと2ヶ月くらいしかありません。大学の数学の問題集を3往復くらい解いて、赤本も何回もやって。試験に出る英単語、試験出でる英文法? も5回くらい繰り返し勉強しました。物理の問題集も、過去問の5年くらいまとめてある旺文社の分厚い冊子を何度も繰り返してやりました。
1問1問、ノートを解説を書き込んで、問題集用の解答ノートを作りました。ノートと問題集は捨てずに記念にとっておけばよかったかなと今になって思います。
自分でも凄いなと思ったのは、初めて見る英単語を毎日50語くらい覚えて記憶していったこと。後にも先にもあんなに勉強したのはあれ1度きりかな。あれを思えば、宅建(宅地建物取引士)の試験は楽な方だなと思います。
おかげで東海大学の数学科、日本大学理工学部の物理学科、日本大学の文理学部数学科から合格の通知を受け取りました。自分で受験したなかでは一番偏差値の高い目標としていた文理学部に通うことになりました。明治大学の工学部と明星大学の数学科は落ちました。
日大理工学部に入学金を納め、文理学部に合格が決まれば、入学金がそちらに穴埋めできること。文理学部ならアパートを借りずに通学で通えるというので自分でも頑張りました。教員養成の大学なのも魅力でした。
文理学部の合格通知は、かなり遅い3月23日、発表なので、東京の会社に通勤していた父親に合格発表を見に行ってもらいました。お昼頃かな、父親から合格の連絡があり、あのときは本当にうれしかったな。母校の高校の職員室前に、合格した大学と氏名がボードに書き込まれていたのも、なんかあとからじんわりきてうれしかったです。