ポリティカル・コレクトネス。
ネット上では、ポリコレ、と言う人もいる。
嫌な略し方だなと思う。
政治的妥当性、と日本語訳される。
人種、性別、年齢などにまつわる差別的な表現を避けるために
表現を変えることだと説明していいと思う。
チアーマンをチアーパーソンと言ったり、
ポリスマンをポリスオフィサーと言い変えたり、
看護婦さんを看護師さんと言ったりするようになったのは
この動きによるものだ。
マンホールをパーソンホールと呼ぼうという
提案も
あったとかなかったとか。。。
TVではよく芸人さんたちが
コンプライアンスに縛られている、と言うことがあるけれど、
あれにもポリティカル・コレクトネスが絡んでいることがある。
めくら、という言葉は避けたい。
盲人、という言葉に変えた方がよい。
メクラ加工という技術があるが、これは、
ブラインド加工という呼び方に変わってきている。
それから、めくら判と言う言葉もあった。
これはよく確認もしないで判を押すことを言うが、
事務的に判を押す、などと言い換えた方が
よいだろう。
目の不自由な人のことを思いやれば
表現に気をつけることもできるかとも思うが
そう簡単なことでもない。
「コロナは目に見えないから怖い」というのは
ごく普通の表現に見えるけれど
目が悪い人はそもそも何も見えないのだ。
それでもコロナの時代を生きている。
実は、私も目性が良い方ではない。
数年前にレーシックをしようと思ったが
私の目には合わないとのことで、
他の手術を受けた。
一応、今は、
眼鏡のいらない生活を送ってはいるが、
ドライアイなどの予期せぬ副作用が生じた。
それでもやってよかったと思う。
目のいい人には
目が悪い人の日常は絶対に
理解できないだろう。
先日演芸場へ行った。
春風亭一朝さんが“唖の釣”を演った。
七兵衛さんと与太郎が殺生禁断の池へ釣りに行くのだが
役人に見咎められて慌ててしまい舌ががもつれる七兵衛さんを口がきけないと
役人が勘違いする噺。
一朝師匠はいつも黒っぽいお着物で
凄く渋くて真面目そうなのに
時にお巫山戯が甚だしく可笑しい。
大好きな噺家さんの一人だ。
役人に取り押さえられて
慌て蓋めく七兵衛さんの様子が
可笑しくて大いに笑った。
素敵なお着物をお召しで
お顔も真面目そうなのに。
このバカバカしさとのギャップ(*´▽`*)
唖、というワードは全く出てこなかった。
落語界でも
コンプライアンスが徹底しているんだろう。
とりわけ、一朝師匠はこの辺の理解が
素晴らしいし、クレバーなんだ。
芸人さんには
やりにくい時代だと言って欲しくないんだな。
すべての人を掬い上げる世の中になるのは
不可能だ。
でも、金持ちのことはどんなにおちょくってもかまわないと
私は思うよ。