経緯3です![]()
手術をすると決めて、看護師さんが病室に案内してくれる前に、ダンナにはYレディースクリニックが終わった後で「今から手術の日程を決めにU病院行ってくる
」とメールを送ったまま放置になっていることを思い出し電話をしました![]()
私
「先生は自然に出るの待ってもいいけど、もう出血も始まってるしお腹も痛いから手術今日受けることにした」
ダンナ
「えーー!そんな展開になってたん?ぼく仕事休ましてもろて病院いこか?」
私
「仕事あるやろしいーよ。でも、周りはお腹の大きい妊婦さんばっかりで悲しすぎる(号泣)」
ダンナ
「そうやろなぁ・・・」
私
「とりあえず、夕方には帰れるみたいやし終わったらまた連絡する」
ダンナ
「仕事はよ終わらしてもらって、迎えにいけるかもしれんから連絡まっとうなー」
文章で書くととてもあっさりした感じですが、こんな感じです。でも、後で聞くと周りは妊婦さんばっかりで・・・と私が話した時、ダンナも泣いてしまったと教えてくれました![]()
電話を終え、病室へ。手術の予定時間まで1時間ほどありました。手術前に着替えとトイレを済ましておき、後はゆっくり休んでいてくださいと言われましたが、よっぽど悲壮な顔をしていたようで看護師さんから「外に勝手にでないよね?」と念を押されました
逃げる気力もありせんでした![]()
病室で待っていてあと5分くらいで看護師さんの迎えが来るというどんぴしゃなタイミングの時に、2日前に妊娠報告をしたばかりの幼馴染(妊娠5か月)から電話がかかってきました![]()
幼馴染
「あけおめー!調子どう?」
私
「最悪。流産した」
幼馴染
「まじで?なんで?」
私
「(今までの経緯を語る)」
幼馴染
「ほんまかー。私も去年の5月に流産しとうやん。やから気持ちめっちゃわかるわ。でも、今また妊娠できたし、きりんも悲しいやろけど流産になってもたってことはきっとそういう運命やってんなぁ」
私
「そうやなー。しゃーないと思うわ」
といったところで看護師さんが登場し、手術室に行くために幼馴染との電話を切りました。
手術室に入ったのは、14時15分でした。
看護師さんが点滴やら血圧やらバタバタと準備をしている中で、すごい私に気を使ってくれて優しかったのを覚えています
半泣きになっている私を見て、ティッシュを持ってきてくれて「先生来る前に思いっきり泣いとき」と言って、手を握ってくれました。
そーこーしてる間に先生が来てちょっとした説明の後、麻酔を打たれました。「目を閉じて大きく深呼吸して~」と言われ、深呼吸をすると意識が遠のく感じがして、その後の記憶はもうありません。
次に目が覚めたのは、手術室ではなく、病室のベッドにちょうど移乗させてもらっている時でした。病室の時計を見ると14時45分ごろだったと思います。「全然時間たってへんやん」と思ったことは覚えています。そのあと、しばらくは夢なのか、現実なのか分からず1時間ほど横になっていました。意識もはっきりしてきたころ、携帯を見ると幼馴染からメールが入っていました。
病院に来てくれようとしていたこと(偶然にも、私が手術を受けた病院は幼馴染が妊婦検診で通っている病院と同じでした)、きりんの赤ちゃんは、ちょっと忘れ物を取りに行っただけやから今回のことは親になるための試練やったと思うなどなど先輩からの励ましの内容でした![]()
その後、さらに1時間ほど休憩してふらつきなども無くなったので看護師さんを呼び、手術後の経過を確認するために10日に受診ことになりました。お風呂も術後4~5日はダメとのこと
薬も3日分もらいましたが、今まで聞いてなかったあることに気がつきました。それは、はたして私はナニ流産だったのか。そして、今回の手術はナニ手術なのか。ネットでは、稽留流産や進行流産などそうかな?と思う情報はたくさん出てきました、イマイチよくわからなかったので、10日に聞いてみることにして、17時半ごろ病院を出ました![]()
ちなみに、今回の手術代は18820円でした
そして、結局ダンナの迎えは断り自力で家に帰りました![]()
手術を終えて、正直な感想はすっきりしたです。待望の赤ちゃんが流れてしまったことは、悲しいことですがお腹の中にずっといると悲しさが増長するだけやし、私はなかなか前を向けなかった気がします。手術を受けたことで、自分なりに今回の流産をきちんと受け入れることができたような気がします。自然に出るのを待ってももしかしたら、同じように感じたかもしれませんが、今となってはわかりません![]()
術後初めての受診は経緯4に続きます![]()
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