第16回出生動向基本調査の『配偶者との知り合ったきっかけ』の項目によれば、1935年時点では見合い結婚が69.0%、恋愛結婚が13.4%だったのが、最新の値(2021年)では見合い結婚が9.9%、恋愛結婚が74.6%と、現在では恋愛結婚が主流であること、そしてその逆転が1960年から70年頃に起こっていることが分かります。
世の中の主流が恋愛結婚へ移行し、結婚相手を選ぶ自由、さらには結婚しないという選択肢をも得たこと、これによって幸せを実現させた人々もいるでしょう。
しかし、公式の数字ではないものの、見合い結婚の離婚率が10%であるのに対して、恋愛結婚での離婚率は40%だとも言われています。見合い結婚から恋愛結婚への移行は、果たして人々を幸福にしたのでしょうか。
ここからは僕の妄言ですが、この見合い結婚から恋愛結婚への移行は、人々に幸福だけではなく、不幸や強迫観念をも与えたのではないかと思うのです。
見合い結婚が主流の時は、全てがそうとは限らないでしょうが、その人と家庭を築いていかなければならないということで、「誰を愛するか」よりも「いかにしてその人を愛するか」が大事だったのではないか、と考えます。
目の前にいる人間を、いかにして知り、どうやって愛するのかという向き合い方は、異性に限らず友人愛でも、果ては人類愛においても大事な姿勢であり、こうしたある意味本質的な向き合い方をした結果が上記の離婚率の低さにも現れているのではないかと思います。
それが恋愛結婚が主流になり、人々に選択肢が与えられるようになると、「誰を愛するか」を重視するように変化し、その結果「愛する対象」を選別するのが当たり前になり、相手の肩書き、容姿等々……そうした部分で最初からふるいにかけてしまったり、次々と自分の満足いく相手を見つけるまで相手をころころ変える、愛の大量消費的な行動がみられたりするようになった、そうは考えられないでしょうか。さらには、より価値の高い人間にならないと選ばれない、愛されないという強迫観念を生み出し、それが様々な形で人の心を侵食しているようにも思えるのです。
結婚相談所で高望みする女性(=行き過ぎた選別行為)であったり、写真に過剰な加工をしてまで自分の容姿をよく見せる(=自分の市場価値を高める)行為であったり、過激なダイエットをして拒食症になったりといった現象はその例かもしれません。見合い結婚と比べた時の離婚率の高さも、相手のことを知り愛することが第一義になっていないからではないでしょうか。離婚の原因としてもっとも多くを占めているのは「性格の不一致」だそうです。これもそれ故かもしれませんね。
この主張にどれだけ正当性があるかは分かりませんが、そう考えると世の中の色々な諸問題の遠因がこうした要因なのではないかとも思えてしまいます。
12月29日追記
マッチングアプリでの出会いも、お互いに真剣な人が多いため、わずかに離婚率が低いらしいです。へーー。