女性について


ギリシア神話における最初の人間の女性はパンドラであり、ゼウスがプロメテウスへ罰として与えた「美しき悪」でありました。ギリシア神話においては女性は存在そのものが災いなのです。最も現実には美しくもない悪がはびこって……


一方で、男性は女性によってしか救済されないものでもあるそうです。女性のもつ聖母性か少女性か、その他なのか、何によってなのかは分かりませんが、そうらしいです。ワーグナーの楽劇もそれがテーマのものがありますね。かなり。僕の知ってる限り、この手のものはファウストが最初なのかなと思うんですけどどうなんですか?


最近、Twitterで宮崎駿の『君はどう生きるか』の感想として「女性というものに対して期待しすぎでは?」というものが流れてきました。たしかに。昔からそうなんですかね。この頃、身の回りで「急に冷められてフラれた」みたいな女子が多々いますが、男側が勝手に多くのものを期待して、勝手に幻滅したんでしょうね。贅沢なやつだ。女子は聖母でも純情な少女でもなく、男と同じように、愚かでどうしようもない人間なんですよね。


ちなみに、映画まだみてません。一緒に観てくれる女性、募集中です。


ところで、僕にとっての女性はどっちなんでしょう。うーん。少なくとも、僕はまだ女性に苦しめられることはあっても、救われたと思ったことはないかもしれない………


出来損ないのファウスト。



  完全な生命体とは何か。


僕はいつも人間は自由意志なんてものを持たないのではないかと思わされます。

僕が自らの意思で何かをしていると思っているとしても、実際は肉体や外的な要因によってその行動や思考が規定されてしまっているのではないか。そして、それを追認する形で我々の自我は存在しているのではないかと。そう思った時、僕はなんとなく窮屈な感じを覚えます。(エレン・イェーガー?)


それから脱した、純粋で完全な自由意志を持った存在。それが僕の思う理想の姿ですし、それを実現するにはまず肉体を捨てるところから始めないといけませんね。しらんけど。

結構前からコンピューターに意識を移す、あるいはコピーするみたいな研究があった気がします。完全な形では全然ないでしょうが、肉体を捨てられつつあるという点で期待していいのでしょうか。


それは生命体といえるのか?

それは概念なのでは?

さあ……


エヴァのラスト(旧劇)の全人類がLCLに還元された世界は、ある意味理想の世界なんじゃないか、そんな気持ち。早く高次元の存在になりてー



  ピクミン4感想


楽しい。


今回のピクミンは「ダンドリ」に焦点が当てられています。いかに効率よく物事を進めていくかを考える、ある種のパズルゲームですね。もともとピクミン1,2の頃のような生存競争感とか、自然の厳しさ的なものが好きだった僕的には残念に思う部分も最初はありました(今作は結構難易度は低めなこともある)が、やってくとそのパズル的な要素にハマっていきます。


まあ難易度低めとか言いながらラスボスで200匹くらい犠牲にしてます。もしかしたら俺は牟田口廉也の生まれ変わりなのかもしれない。


また「ダンドリバトル」というPvEがストーリーに組み込まれています。結構面白い。一緒にゲームする相手がいない自分にはこういうの結構楽しい。


1は宇宙船パーツ集め、2は借金返済のためのお宝集め、3は食糧収集ときて、今回の設定、「お宝の中のキラキラエネルギーを集める!」はなんかこう……今までみたいな現実的な設定が良かったなあとは思わないでもないですけど。他のいろんな要素みてもちょっとファンタジーな感じはありますね。今までのSF感好きだったのに。


あと、ピクミンを増やす楽しみみたいのはないですね。そもそも減りにくく、増やす必要もないし、原生生物が復活しないので増やしにくいわけです。それにピクミンを3色までしか連れて歩けません。1,2の頃ほどの自由さはない気がします。


あとオッチンが強すぎる。こいつだけでええやんもう。


ここからは全く関係ないけど誰かに話したい個人的考察なんですが、僕はオリマーたちっていうのは、地球とは違い、嫌気性生物が進化し覇権を握った惑星の住民だと思っています。嫌気性生物は我々の惑星だとボツリヌス菌など一部しかいませんが、発酵のメカニズムを利用してエネルギーを生産しているようで、呼吸に比べるとその効率は悪く、生み出せるエネルギー量も多くないようです。だからオリマーたちは身体が小さいんでしょうね。しかし、そんな生物のいる惑星における「植物」(ピクピクニンジンなど)とはどんなものなのでしょうか……想像がつきません。


以上、体調不良で不覚にもピクミンが捗ってしまった馬鹿の所感でした。