人の第一印象は3秒で決まる。そしてその55%は「見た目」で決まる(メラビアンの法則)。

そんな大事な「見た目」を気にすることのできない人がろくな社会性持ってる訳ないじゃないですかー、やだーー。

 ちなみに僕の持論として、男女問わず、有能は肌や手が綺麗という持論があります。手が綺麗というのは、文字通り「爪先まで気を遣える」人間なのでね。まあ体質や職業柄なんてのもあって一概には言えませんが。

 「一目惚れ 割合」でググると、男女関係なく5割以上の人間が経験しているらしいです。やはり見た目は大事。
(ちなみに男の方が一目惚れしやすいのはPEAの分泌が、主に視覚を司る部分からだから、だそうです。胸や尻をみて女性が生殖適齢期か見極めるためらしい。女性の胸に目がいってしまうのは本能なんです、許して)

 まあ、最近の加工バリバリの写真とかみてると、行き過ぎたルッキズムの傾向は感じなくもないですが、やはり「見た目」、つまるところの肉体。これは恋愛において大きな比重を置いていると思わざるを得ません。

 この傾向は古代ギリシアでも変わらないようです。プラトンも良き恋愛は良き肉体からと語っていますし、ロマン的欲望とエロス的欲望の双方がともに恋愛の本質を成していると語ります。現代と恋愛感が異なるし、ここでの良い肉体とはヘレニズム彫刻的な美かも知れませんが(無知)、まあこれは現代でも通用する論理ではないでしょうか。

 プラトニック・ラブとは、肉体的な関係(=エロス的欲望)のない恋愛関係ですが、この言葉を最初に作った人間はプラトンのことを知っていたのでしょうか?プラトンはロマン的、エロス的欲望の両者を恋愛の本質とみたのに………

 「彼氏が好きなのは、私じゃなくて私の身体なのかもしれない……」と悩む人もいますが、そういう肉欲込みでの恋愛こそ、ある意味健全で、本質的なのではないでしょうか。悩むべきは“情事”の頻度についてではないでしょうかねー知らんけど。まあ人によるのか。僕には無縁ですけど。

 話が逸れましたが、「中身を見てほしい」という恋愛の精神性、上記でいうロマン的欲望の部分ばかりを強調した主張には、そこに恋愛の本質がどれだけあるのか、と疑問に思ってしまいます。性欲を否定する、禁欲主義的な考えですが、そんなものは範馬勇次郎も否定してます。強くなりたくば喰らえ。禁欲の果てに辿りついた境地など高が知れている。(うろ覚え)

 まあ、この種の禁欲主義とか、精神は肉体より気高い云々の話の元凶は大体キリスト教の影響が大きいのでしょう(適当)。キリスト教がなければこの手の悩みもなく、科学文明ももっと先を行ってたんじゃないの、と思ったり思わなかったり。

 「中身“も”見てほしい」なら自然だし、同意しますけどね。見た目は第一の条件に過ぎない、プラトンはそうも言っていた記憶があります。確か。「中身を見てほしい」というある種の承認欲求は誰でも持っているでしょうが、それを満たしたいならまず見た目を磨かないといけないということなのでしょう、自戒とともに。


さて、私は美容系YouTuberの動画でもみて、見た目を磨くことにしますかね。美容系YouTuberみんな可愛くてうれしいよ僕。