昨年夏に四国八十八ヶ所と別格20ヶ寺を歩かせて頂いたので、初心忘れるべからずの気持ちとして思ったことを記録させて頂きたいと思います。
自分の振り返り用でもありますので、他の方のお役には立たない内容です。
何か変わったか?
一番質問を受けるのが、
「お遍路して何か変わった?」
なんですよね。
でも、実はあまり実感が無いのが正直な印象。
逆にお遍路をするに連れて、迷いが出て来ている。
お遍路をさせて頂いていると、利他の心を常に心掛けていたのですが、現世では仕事の特性上、常に他人と比較される日々。
社会やお客さんの役に立ちたいと心掛けている筈なのに、心根では自分の心配をしているのではないだろうか?
要するにお遍路をして、悟った振りをしているだけなんです。
お遍路の最中も。
狭い遍路みちに車が来るとイラっとしてしまったり、終盤に疲れが溜まって来るとイラついてしまい、何のためにお遍路しているのか分からなくなってしまいます。
お遍路の1巡目で108寺院を周った後には、今までとは違う自分に会えるのではないだろうか?
と想像してはいたのですが、出会ったのはダメダメな自分でした。
でも実は、1回周らせて頂いたくらいで変わる筈は無いと言う事も分かってはいたのです。
どうしてお遍路してるんですか?
聞きたくても中々聞けないのが、
「どうしてお遍路してるのか?」
なんですよね。
人には色々な事情があるし、お遍路をしてる理由はセンシティブな話題です。
だから、私はこちらからは聞かない事にしています。
私がお遍路をさせて頂いている理由は、ご先祖の供養と自分探しです。
後は古道歩きが好きだからでもあります。
古からの祈りの道。
先人方と時を超えての繋がりを感じれる場所。
古道や遍路みちに身を置いた時に魂の喜びを感じています。
お遍路をしている最中に出会った方からお遍路している理由を聴く事がありますが、深刻な事情を抱えていらっしゃる場合もあります。
その様な方々から見たら、私の理由などは実に浅はかな理由です。
大切にしたいこと
お遍路をさせて頂いて強く感じるのは、人と人の繋がりの大切さです。
四国では、『お接待』文化が根付いており、特に歩き遍路をさせて頂いていると、お接待をして頂く事があります。
食べ物や飲み物、時にはお金。挨拶や労いのお言葉など。
場合によっては拝んで来る方もいらっしゃいます。
また、これらの様に形あるモノだけでなく、見守って頂いていると感じる事も多いです。
話し掛けは無くても、それとなく道を間違わないか?と気を配って下さる方々。
また、遍路みちを整備、清掃して下さる地元の皆さんや、遍路者を温かく迎えて下さる宿の皆さん。
お遍路は決して自分一人では成し得ないのです。
人と人の繋がりがあってこそなんです。
でも、それはお遍路の世界だけ?
四国だけ?
そんな事は無い筈なんです。
利他の心を持たないと世の中はメチャクチャになってしまう。
人が忘れてはいけない事を思い出させて貰える場所が四国であり、お遍路なのかもしれません。
自分のダメなところ
形あるモノや見えるモノ。
自分が見たいモノを見ているだけ。
ちょっと1周しただけで、知った様な気持ちになっているんですよね。
お遍路さんだから偉い。
歩いているから特別。
意識して居ないと、いつの間にかこんな傲慢な自分が頭を擡げて来ます。
ヤバいですよね。。
お遍路のスタイルも、結局は歩いた距離や早さを気にしている。
だから、バタバタと速足で歩いて疲れてイラつくし、山道では後から来た人に抜かれたく無い。。
ほんとヤバいです。。
私も最近は、お接待をする様に意識してるのですが、相手がそれを受ける余裕があるかどうかを感じ取ってしまいます。
良く見かけるのが、上から下まで完璧なフル装備のお遍路さん。そう言う人程、人を寄せ付けないオーラを感じます。
単に私が弱い人間だから、その様なオーラの方に怯んでしまっているのだと思いますが、何か近づき難い。
でもその姿も私そのモノなんですよね。
間違い無く、自分もその様に見えていると思います。
だから、『謙虚さ』と『余裕』は大切だと思います。
後は形あるモノや見た目に惑わされない。
とても難しいんですけどね。
最後に
結局、私の1巡目はスタンプラリーでした。
お遍路の途中、目にした張り紙。
「早く周るとか、どれだけ歩いたか?そんなことより、しっかり歩け!そして何かを残せ!」
全く実現出来なかった。
だから、この4月、2巡目に挑みます。
たぶん、今度もダメダメ遍路になるでしょう。
しかし、こんな遍路者でも四国は迎えてくださいます。
そして、何かを教えてくださいます。
癒してくださいます。
だからまた、あの遍路みちに戻って行くのです。
終わり無き自分探しの旅へ。
