加太に建造された砲台、堡塁、その他旧日本軍が所持していた遺構の概要についてざっくりですが説明します。

 

※深山砲台には、砲台付近に臼砲が設置されていました。この遺構を私は堡塁として分類しています。

追加資料:深山演習砲台の資料が集まったので編集させていただきました。砲座横の不明遺構は88式海岸射撃具と判明。

深山砲台群跡

 

深山第一砲台跡

起工 明治25年7月

竣工 明治30年9月

備砲 28cm榴弾砲 6門 3砲座

残存遺構 ・全地下掩蔽部・第一、第二砲座・第三砲座半壊・右翼観測所

消滅遺構・左翼観測所(コンクリート遺構が見えるのみ)

所在地 国民加太休暇村

 

深山堡塁

起工 明治25年7月

竣工 明治30年9月

備砲15cm臼砲  4門 2砲座(山砲の為備砲が移動する)

       機関砲4門

残存遺構・地下掩蔽部・第一第二砲座

消滅遺構 無し

所在地 深山第一砲台 右翼観測所奥

 

深山第二砲台・深山第二堡塁(後に第二演習砲台)

起工 明治25年7月

竣工 明治30年9月

備砲 28cm榴弾砲 6門 3砲座

       機関砲4門

残存遺構・掩蔽部一基

消滅遺構・全砲座・全堡塁 (休暇村建設につき消滅)

所在地 国民加太休暇村駐車場付近

 

男良谷(おらだに)砲台=深山第三砲台

起工 明治35年11月5日
竣工 明治37年(8月8日
備砲 12cm速射加農砲 4門 2砲座

残存遺構・全砲座・全弾薬庫

消滅遺構・兵舎・発電所・右翼観測所(海岸への階段建設にて消滅)

同施設内 水雷砲台と探照灯跡

備砲(魚雷) 34式魚雷4本

残存遺構・魚雷運搬用トンネル(奥で崩壊)・ボイラー跡・探照灯移動用トンネル

消滅遺構・魚雷発射施設・魚雷保管庫

所在地 加太国民休暇村

 

田倉崎砲台群跡

 

加太砲台

起工 明治35年12月
竣工 明治37年2月

備砲27cm加農砲 4門 4砲座

残存遺構・第一砲座・四砲座半壊・第一、第四弾薬庫・右翼観測所・左翼観測所(補助観測所)

・厠跡・弾廠跡・弾薬庫(施設までの道にひっそりと残存)

消滅遺構・第二,第三砲座(青少年の家建設の為消滅) 弾廠

所在地 加太少年自然の家

 

田倉崎堡塁

起工明治35年12月
竣工 明治37年2月
備砲 28㎝榴弾砲 6門 6砲座 31式速射野砲 4門?

残存遺構・全砲座・隠蔽部・右翼、左翼観測所
消滅遺構・右翼観測所観測座(展望台設置の為消滅)

所在地 加太少年自然の家

※加太砲台、田倉崎堡塁は加太少年自然の家に当日申込みが必要です。簡単な手続きなので必ず行いましょう。

 

堡塁

 

佐瀬川低堡塁

起工 明治 35年
竣工 明治 37年
備砲 12cm加農砲 6門 6砲座

残存遺構・全砲座?・第一、第四〜第六弾薬庫・離れ弾薬庫

消滅遺構・第二、第三弾薬庫?

所在地 和歌山県立北高校西校舎付近 炭焼き小屋

※現在炭焼き小屋になっているので、訪問には事前連絡等をすること。遺構の状態は察。

 

佐瀬川高堡塁
起工 明治35年
竣工 明治37年
備砲 三十一式速射野砲(75mm) 4門 3〜5砲座? (山砲)

残存遺構・弾薬庫・掩蔽部・井戸水槽・砲座・塹壕・鉄板・便所跡

消滅遺構 無し

所在地 紀泉入会解消記念碑近く。記念碑の隣の一般道に登山道を登る。

 

大川山堡塁

起工 明治29年5月
竣工 明治30年11月
備砲 9㎝加農砲 2門 1砲座(移動式、山砲?)

残存遺構・砲座・便所跡・掩蔽部(階段が埋められている為、中に入れない)

消滅遺構・掩蔽部 (未確認がある可能性有り)

所在地 大川遊歩道中部

※ たまに敷地所在者の気狂の老人が出てきます。大金を取られると噂されているので、気をつけて行くように。

 

西ノ庄堡塁

起工 明治35年?

竣工 明治37年

備砲 12cm加農砲6門(移動式)

残存遺構・陸防、陸軍境界石数本

消滅遺構・西ノ庄堡塁(和歌山県立北高校西校舎建設の為堡塁全体が消滅)

所在地 和歌山県立北高校西校舎

 

附属設備、遺構

 

第一演習砲台

起工 資料無し

竣工 資料無し

備砲 28cm榴弾砲四門 (2023年5月19日アジア歴史資料センターで確認)

残存遺構・観測所?・88式海岸射撃具設置跡(上記の日時にアジ歴で確認)

消滅遺構・砲座(民家建設の為消滅)

※私有地です。許可を得てから散策してください。

※まだほとんどが未開拓です。アジア歴史資料センターに演習砲台に関する資料がありましたので、編集しました。

 

深山火薬本庫

起工 明治33年9月

竣工 明治35年11月

建造物 火薬本庫2棟

残像遺構・橋梁2基・井戸・境界壁(陸軍)

消滅遺構・火薬本庫全棟 (未確認がある可能性有り)

 

大森山堡塁

建造案のみ、実在しない。(陸防、境界石は見つかっている)

 

一応、これで加太側の軍事遺構は全部だと思います。友ヶ島はもうしばらくお待ちください。概要だけなら書けますがブログ更新出来ないので、写真撮ってから(笑)

市内に本土決戦用の塹壕だったりトンネルだったりありますが、それもまたいつか(笑)

では、お次は加太一番の有名どころ(かどうかは知らない)深山第一砲台跡について、書いていきます。

それでは、まったのーう。

 

参考文献

アジア歴史資料センター

加太少年自然の家

加太国民休暇村

amebaの戦争遺構の記事