他人とのコミュニケーションというのは非常に難しいもので、たとえば。


何度も同じような間違いをする後輩が、今日も同じような間違いをして、僕はいつもと同じような説教をした。


後輩はいつもと同じように神妙に


「はい、はい」


と聴いている。


だが、同じような間違いを何度も何度も懲りずに繰り返すということは、理解していないのではないか。


俄然心配になった自分は、後輩が本当に理解しているのか確認しようとして止めた。


なんとなれば、


「理解しています」


と答えるに決まっているからである。


もちろん、彼がどこまで僕の言ったことを理解しているかは分からない。


彼の基準では十分理解しているというレベルに到達しているが、僕にいわせれば、それは到底理解しているというレベルではないという事態が生じている可能性も考えられる。


たとえば、動物園で飼育員から猿の生態についての話を聴いていて、うんうん頷くから理解しているのかと思いきや、ことここに至ってようやく目の前の飼育員が猿ではないことに気付いた、みたいな。


そういう埋めがたい齟齬が生じているのかもしれない。


しかし、それを確認するためには、僕がその後輩になって僕は果たして本当に理解しているのか自分自身で確認するしかない。


もちろん、そんなことは不可能で、誰かと誰かがそっくり入れ替わったなんて話はドラマか小説くらいでしか知らない。


僕は空しい気持ちで


「これから気をつけろよ」


と叱咤した。


後輩は


「気をつけます」


と答えた。


言いようのない徒労感に襲われた。