そうそう、こういうことも考えたんだ。
最近、人の命が重過ぎるねって。
書き間違いじゃないよ。
軽過ぎるって言ってんじゃない、重過ぎるって言ってんの。
誤解を恐れずに言うと、落語の世界じゃなべて人の命が軽い。
初めて「らくだ」を聴いたときに、何が驚いたって主人公のらくだが死んでいた時の兄貴分の丁目の半次の反応。
「ありゃ、参っちゃってるよ」
これで終わり。
志ん生のだけどサ。
このあと、「死ぬなんて生意気な野郎だな」ってなギャグが続くんだけどね。
「黄金餅」なんて残酷な話もある。
今なら人の命を何だと思ってる、不謹慎だなんて反応が返ってきそうな根多だけど、落語の世界じゃ許されるっていうか、人なんざいつか死ぬんだ、大したことないんだって境地なんだね。
一方で、「芝浜」「文七元結」みたいな人情の機微に触れる咄がある。
これらが同じ落語というジャンルの中に同居してるってことに留意が必要だ。
現代は人情が失われた代りに、人の命を随分と重大に扱うでしょ。
ケータイ小説なんて僕も斜め読みするけれど、ほとんど誰某が死んで悲しみに暮れましたって安直な話。
ワイドショーではコメンテーターがのべつ人の命は大事なんて愚にもつかない白々しいことを言ってる。
私見では、人の命は地球よりも重いなんて愚にもつかないことを言うようになってから世の中おかしくなった。
ああいうのを落語の世界じゃ野暮というんじゃないか。
人なんざ大したことないが、でもおもしれぇなってのが落語の方の了見だ。
こういう見地に立てばこそ、人の命はこれは尊重しなければならんって発想も生まれるって僕は思ってるン。
前にも書いたけど、自分の母親は実父が死んで火葬場で亡骸を火葬している時、控え室で「焼き場の人にミディアムにします? レアーにします? って聞かれたら面白いね」って冗談言って親戚の笑いをとっていた。
底抜けに明るくて世話好きだから、しんみりするのが嫌だったんだろうなぁ。
俺、あのとき、「このひたぁ不謹慎だけど、悪い人じゃないな」って思ったン。
出棺の時に人知れず泣いている姿を見た。
今、学校じゃあ多かれ少なかれ、命の大切さってのを教えている。
ある種のブームみたいになっている。
教えれば教えるほど、陰惨な事件が起きて自殺者が増えてってのは皮肉なもんだと思う。
いじめ自殺なんてのがあると、校長が「命の大切さを常々教えてきただけに残念です」なんて謝罪している姿を何度見たことか。
命の大切さを教えちゃいけないって道理はないが、そんなの教えたってせいぜい「人を死なせときゃ読者も感動するだろう」なんて安易に考えるケータイ小説作家が増えるだけでサ。
僕は違うんじゃないかなぁって思ってる。
人の命なんざ大したことないが、でも人っておもしれぇなってことなんじゃないのかなぁ。
何のかんのいろいろあるけど、まあ人の世の中ってのは生きるに値する世の中だってね。
落語の世界にはそれがある、確かにある。