凶悪な犯罪が相次いでいる。
一億総欝時代なんてなことも言われる。
社会が病んでいるといっていいだろう。
そこで僭越ながら解決策をご提示したい。
落語を聴くことである。
世間を賑わわせている凶悪事件の容疑者は、自分を「負け組」と称して憚らず、世間を激しく厭悪して凶行に及んだという。
翻って落語の方の大立者は、今で言う「負け組」と相場は決まっている。
たとえば、「長屋の花見」。
貧乏長屋の大家と店子が花見へ出掛け、玉子焼きに見立てた沢庵を肴に酒に見立てた茶を飲み、自虐的な馬鹿騒ぎを繰り広げる滑稽咄である。
身の不遇を笑い飛ばすなんていい了見じゃないか。
もちろん、笑って済まされないような境遇にある人も大勢いるだろう。
だけど深刻になって物事が好転するかねって問題提起が落語の核心にはあると思うン。
八ッつぁんも熊さんも、与太郎だって実に逞しく生きている。
そういえば、件の事件以降どこぞで人を殺すなんて物騒な書き込みが続いてるという。
本人は愉快かもしれないが、あんなもの面白くも何ともない。
どうせ愉快になりたいなら落語でも聴いて勉強して人を笑わしておやりなさいと思ってしまう。
ついでに言えば、新聞の社説とかテレビの評論家のコメントとか、あんな真面目くさった言論で何かが変わるかねってのが落語の方の見立てといっていいのじゃないか。
僕はああいういわゆる正義や規範意識みたいなものの押し売りが、むしろ社会の病状を進行させているような気がしてならない。
白こいのだ。
落ち込んでいる人にも悩んでいる人にも是非落語を聴いて欲しい。
親御さんも勉強ばかりさせないで、落語を聴かせてあげて欲しい。
ただし、談志師匠はあまり落語を聴き過ぎると無気力になると警鐘を鳴らしているから要注意だ。
過ぎたるは及ばざるが如しなのである。
(この項続く)