武田信玄の家臣で名軍師の誉れ高い山本勘助に心酔した戦国武将、大郡実篤はやはり名将であったという。
実篤の戦訓は、敵を騙すこと、そして敵に逃げ道を作ること。
「美しい勝ち戦というものがあるなら、それは九分勝ちだ。残り一分は敵にくれてやれ」
というのが実篤の口癖であった。
豪胆さと冷静さが調和を乱すことなく同居していた。
不惑を迎えた実篤はいよいよ意気軒昂、常勝街道をひた走りに走り、余勢を駆って宿敵・平河内歳宗との戦を決断する。
歳宗は当時、元の家臣で謀反した蒲生時秀を城に追い詰め、城下にどっかと陣営を構えて兵糧攻めにしていた。
実篤はこの機に乗じて奇襲を企てた。
草木も眠る丑三つ時、実篤率いる1万から成る騎馬隊が敵の背後から襲い掛かる。
寝首を掻かれた歳宗勢は敵わない、たちまち蜘蛛の子を散らすように敗走し始めた。
夜目にも慣れた実篤の騎馬隊に隙はなく、刀や槍で敵をばったばったと斬り倒す。
断末魔が、血しぶきが、闇に溶けて、消えた。
九分通り勝利を確信した実篤は、ここが引き際と部隊を撤収。
したところ、手負いの歳宗が時秀と直ちに和解、城の虎口が開き跳橋が堀にかけられるや10万の兵がどっと表へ飛び出し、勝利に酔いしれていた実篤勢を忽ちにして飲み込んだ。
逃げ道は、なかった。
呆気なく斬首された実篤の最期の言葉は、「そりゃないじゃん」だったという。